心のデボーション638

デボーション1
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心のデボーション6371

「サムエルいひけるはヱホバはその言にしたがふ事を善したまふごとく燔祭と犠牲を善したまふや夫れ順ふ事は犠牲にまさり聽く事は牡羔の脂にまさるなり」 Ⅰサムエル15:22  明治元訳聖書

「サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」 口語訳聖書

 「傾聴」

「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれる」。(Ⅰサムエル15:22) 求められるのは「聴くこと」である。神のことばを聴く耳は、聖霊に導かれる理性による直接的な傾聴である。御言葉をもて立て。ギリシャ語「προσέχω」は「傾聴」を意味し、「心を開き、集中して聞く」のいみである。

関連ギリシャ語
(προσέχω「傾聴する」G4337)
(ἀκούω「聴く」G191)

(心のデボーション6371)

心のデボーション6372

「この故に汝もし供物を祭壇にささぐる時、そこにて兄弟に怨まるる事あるを思ひ出さば」 マタイ5:23 大正文語訳聖書

「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、」 口語訳聖書

 「仲直り」

親しい人とのトラブルや誤解は、簡単に謝ってもすまないことが多い。自分が謝ればすぐに仲直りできると思う人は深く反省していないかもしれない。それで同じ失敗を何度でも繰り返すのではないか? ヤコブは長い旅の果てに兄エソウと仲直りする。それはヤコブの個人的な成熟のプロセスであった。

関連ギリシャ語
(καταλλαγή「和解」G2643)

(心のデボーション6372)

心のデボーション6373

「凡て此等のものの上に愛を加へよ、愛は徳を全うする帶なり。」 コロサイ3:14  大正文語訳聖書

「これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」 口語訳聖書

 「不一不異」

「円覚経」に「不一不異」という。「親しいがべたつかず、離れていても親しい関係」である。相手を変えようとせず、違いを尊重し、互いに影響し合う、成熟した人間関係がそこにある。パウロは「愛は、すべてを完全に結ぶ帯である」と教える。

関連ギリシャ語
(σύνδεσμος「絆・鎖」G4885)

(心のデボーション6373)

心のデボーション6374

「ああ愛よ もろもろの快樂の中にありてなんぢは如何に美はしく如何に悦ばしき者なるかな」 雅歌7:6  明治元訳聖書

「ああ、慰めに満ちた愛よ。あなたはなんと美しく、快いことよ。」 新改訳聖書

 「ナルシストの恋人」

相手を好きになると自分がなくなってしまう人がいる。相手が「好き」といえば「好き」と答え「おいで」といえば「おいで」とこだまのように応じる。ナルシストが近づいて恋人にしたがるのは、そんな女性で、その遊びに飽きると、ポイと捨ててしまう。嫌われてもいいと考えられるようになれば、ナルシストの恋人エコー「こだま」をやめることができる。本当の愛は「慰めに満ちた」ものである。

関連ギリシャ語
(σύνδεσμος「絆・鎖」G4885)

(心のデボーション6374)

心のデボーション6375

「イエス振反りて、その從ひきたるを見て言ひたまふ『何を求むるか』彼等いふ『ラビ(釋きていへば師)いづこに留り給ふか』」 ヨハネ1:38  大正文語訳聖書

「イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。」 口語訳聖書

 「求め」

バプテスマのヨハネの弟子が二人、イエスのあとについていった。するとイエスは振り向いて「何か願いがあるのか」と尋ねられた。「願いζητέω」は「尋ね求める、捜し求める、探求する」の意である。人はしばしば、自分が何を求めているのかを知らないでイエスについて行く。しかし、「求めるべきものが何か」は、イエス御自身が教えてくださる。「魂の求め」に出会うことのできた人は幸いである。

関連ギリシャ語
求め
(ζητέω「求める」G2212)
(αἰτέω「求める」G154)

(心のデボーション6375)

心のデボーション6376

「ゼベダイの子にしてシモンの侶なるヤコブもヨハネも同じく驚けり。イエス、シモンに言ひたまふ『懼るな、なんぢ今よりのち人を漁らん』」 ルカ5:10  大正文語訳聖書

「シモンの仲間であった ゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。」 口語訳聖書

 「いのちを与える漁師」

イエスはペテロに「今からあなたは人間をとる漁師になる」と言われた。(ルカ5:10) 「人間をとるζωγρέω」は「生け捕りにする」の意から「命を与える、生かす」をあらわすギリシャ語である。「漁師」であったペテロに、「あなたはこれまで魚をとってきたが、今から「いのちを与える漁師になる」と言われたのである。「一度は悪魔に捕えられて(ζωγρέω「悪魔にいのちを与えられ」)その欲するままになっている」人を、「悪魔のわなからのがれさせるてくださる」(Ⅱテモテ2:26)のはイエス・キリストである。

関連ギリシャ語
(ζωγρέω「生かす」G2221)

(心のデボーション6376)

心のデボーション6377

「イエス言ひたまふ『聖書に、「造家者らの棄てたる石は、 これぞ隅の首石となれる、 これ主によりて成れるにて、 我らの目には奇しきなり」 とあるを汝ら未だ讀まぬか。」 マタイ21:42  大正文語訳聖書

「イエスは彼らに言われた、「あなたがたは、聖書でまだ読んだことがないのか、『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった。これは主がなされたことで、わたしたちの目には不思議に見える』。」 口語訳聖書

 「隅の親石」

確かに、これは不思議な話である。家を建てる人が慎重に調べた結果、役に立たないと判断した石が、実は、家の四隅に置く親石になったというのである。人はイエスを捨てたが、神はそのイエスを教会の基礎となさったのである。イエスの福音に出会う人は、これまで振り向くことなかったものの中に「宝物のような価値」のあることに気づく。「捨てられた石」とは、私の内で役に立たないものとして見捨ててきた影の部分をも意味するかもしれない。

関連ギリシャ語
(κεφαλὴν γωνίας「隅の親石」G1137)
(ἀποδοκιμάζω「捨てる」G593)

(心のデボーション6377)

心のデボーション6378

「言ひたまふ『わが恩惠なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり』さればキリストの能力の我を庇はんために、寧ろ大に喜びて我が微弱を誇らん。」 Ⅱコリン12:9  大正文語訳聖書

「ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」 口語訳聖書

 「非常に喜んで」

もし、イエスの「わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」なら、「キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう」とパウロは言う。(Ⅱコリント12:9) 「喜んでἥδιστα」というギリシャ語は「ἡδύς(hēdýs)快い、楽しい」の最上級で、「非常に喜んで」をあらわず。キリストの力がわたしに宿る」なら、わたしは非常に喜んで自分の弱さを誇ろう。祥訳聖書(いのちのことば社)は「ますます喜んで」。

関連ギリシャ語
喜び
(ἀγαλλίασις「深い喜び、楽しみ」G20)
(ἥδιστα「非常に喜んで」G2236)

(心のデボーション6378)

心のデボーション6379

「視よ、おのが目に梁木のあるに、いかで兄弟にむかひて、汝の目より塵をとり除かせよと言ひ得んや」 マタイ7:4 大正文語訳聖書

「自分の目に丸太があるのに、兄弟に向かって、『あなたの目からおがくずを取らせてくれ』とどうして言えるだろうか」 フランシスコ会訳聖書

 「メサイア・コンプレックス」

「メサイア・コンプレックス messiah complex」はキリスト者が克服しなければならないものの一つである。彼が人を助けたがるのは、自分が人を助けることによって自分が助かりたいからである。頼まれもしないのに人の目から「おが屑」を抜こうとして、感謝されないとむかつく。彼が不幸な人に近づくのは、自分は不幸でないことを確認したいからに他ならない。彼が恐れるのは、何よりも自分の目に「丸太」があるという事実である。「偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」 マタイ7:5 共同訳聖書

関連ギリシャ語
(ὑπόκρισις「偽善」G5272)

(心のデボーション6379)

心のデボーション6380

「求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」 マタイ7:7  大正文語訳聖書

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」 口語訳聖書

 「捜す」

求めて得られなければ「捜せ」。捜しても見つからなければ「門をたたけ」。「捜すζητέω」は「尋ね求める、捜し求める、追求する、探求する、捜索する、詮索する、調べる、求める、要求する、ねらう、計る」である。一度や二度ですむことではない。

関連ギリシャ語
(ζητέω「捜す」G2212)

(心のデボーション6380)

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