心のデボーション6351
「されど妄なる談と老いたる女の昔話とを捨てよ、また自ら敬虔を修行せよ」 Ⅰテモテ4:7 大正文語訳聖書
「しかし、俗悪で愚にもつかない作り話は避けなさい。信心のために自分を訓練しなさい。」 口語訳聖書
「信仰の作り話」
信仰は常に「俗悪で愚にもつかない作り話」に陥る危険に晒される。「愚にもつかないγραώδεις」は「老女のするような」つまり「愚かな」の、御婦人には大変失礼な意味の言葉である。(ここでは老夫もまた、立派なγραώδειςであると言っておこう。) 「愚にもつかないγραώδεις」は「嘘と偽り」(箴言30:8)の「μύθος作り話(〔信仰の〕空想話)」である。
関連ギリシャ語
(γραώδεις「愚にもつかない」G1126)
(μύθος「空想話」G3454)
(心のデボーション6351)
心のデボーション6352
「汝氣を急くして怒るなかれ 怒は愚なる者の胸にやどるなり」 箴言7:9 明治元訳聖書
「気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである。」 口語訳聖書
「いら立つ心」
伝道者は「軽々しく心をいらだててはならない」と語る。いら立ちは、いつまでも「胸にとどまり」、人を「愚か」にする。イライラした心は、いつでも、軽々しいものだ。考え深くいら立つなど、できるはずがない。伝道者は、その前に「事の終わりはその初めにまさる」と語ってる。終わりまで待てそうにない時に、イライラがはじまる。
関連ギリシャ語
(παροξύνω 「いら立つ」G3947)
(心のデボーション6352)
心のデボーション6353
「みな迷ひて相共に空しくなれり、 善をなす者なし、一人だになし。」 ロマ3:12 大正文語訳聖書
「すべての人は迷い出て、/ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、/ひとりもいない。」 口語訳聖書
「迷い出る」
「迷い出るἐξέκλιναν」は「ἐκκλίνω」のアオリスト形で、「道を踏み外す、迷い出る」という意味であり、詩篇14:3からの引用である。「道を踏み外す」は、心の内で、「神はない」といい、神を尋ね求めとしない者」のことで、詩篇は「愚か者」と呼ぶ。(詩篇14:1-3) 「神から迷い出た」のである。
関連ギリシャ語
(ἐκχέω「迷う」G1632)
(ἐκκλίνω「迷い出る」G1578)
(心のデボーション6353)
心のデボーション6354
「愛する者の傷つくるは眞實よりし 敵の接吻するは偽詐よりするなり」 箴言27:6 明治元訳聖書
「愛する者が傷つけるのは、まことからであり、あだの口づけするのは偽りからである。」 口語訳聖書
「憎む者の口づけ」
愛する人から傷つけられることほどさみしいことはない。しかし、箴言は、「愛する者が傷つける」のは「憎む者から口づけしてもてなされる」よりはましだと語る。愛する人から「あからさまに責められた」ので、心が傷つく。しかし、それは「責めることもない冷たい愛」よりもましだというのである。二人の間に何もおこらないのは愛ではない。傷つけたり、いやしたりできる関係が愛である。
関連ギリシャ語
愛
(ἀγάπη「愛、愛餐」G26)
(φιλέω「愛、友愛」G5363)
(ἀψευδὴς「偽り」G893)
(心のデボーション6354)
心のデボーション6355
「又神に召されたる事アアロンの如くならずしては、何人も此尊き位を自ら取る者なし、」 へブル5:4 大正文語訳聖書
「かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように、神の召しによって受けるのである。」 口語訳聖書
「栄誉ある務め」
へブル5:4の「栄誉ある務め」は祭司職をさす。それは人間の意思や努力によって得られるものではなく、神の召命(divine calling)によってのみ授けられる。この原則は、すべての「栄誉ある務め」に適応される。「あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き」エペソ4:1
関連ギリシャ語
召し
(κλῆσις「召し」G2821)
(καλέω「召し」G2464)
(δοξάζω「栄誉」G1392)
(心のデボーション6355)
心のデボーション6356
「十字架によりて怨を滅し、また之によりて二つのものを一つの體となして神と和がしめん爲なり」 エペソ2:16 大正文語訳聖書
「十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」 口語訳聖書
「敵意」
世界の半分が敵と味方に別れ、互いが敵意をもって対峙するとき、「敵意」は「正義」となる。「半分の正義」は対立する相手を排除するまでおさまることがない。この対立は、どちらかに勝利をもたらすこともなく、双方が滅びることになる。「主の十字架」は、この「二つのものを一つのからだとして神と和解させ」「敵意を十字架にかけて滅ぼす」。(エペソ2:16)
関連ギリシャ語
(ἔχθρα「敵意」G2189)
(καταλλαγή「和解」G2643)
(心のデボーション6356)
心のデボーション6357
「われ天にのぼるとも汝かしこにいまし われわが榻を陰府にまうくるとも 觀よなんぢ彼處にいます」 詩篇139:8 明治元訳聖書
「わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。」 口語訳聖書
「同行者」
詩人は天に上っても、そこに神が在すのを知り、よみに下ってもそこに在す神に出会う。「共にある」とは、どこからも逃げ出さない関係である。よみの苦しみが天に通じていることを知っているので、どこまでも「共にある」ことができる。この道は同行者がいなければ、見つけることができない。しかし、どこからも逃げないと決めさえすれば、すぐ近くに同行者がいることに気づくだろう。
関連ギリシャ語
(οὐρανός「天」G3772)
(πρός 「共に」G4314)
(συνέπομαι「同行者」G4902)
(心のデボーション6357)
心のデボーション6358
「讒言する者・謗る者・神に憎まるる者・侮る者・高ぶる者・誇る者・惡事を企つる者・父母に逆ふ者、」 ロマ1:30 大正文語訳聖書
「そしる者、神を憎む者、不遜な者、高慢な者、大言壮語する者、悪事をたくらむ者、親に逆らう者となり、」 口語訳聖書
「悪事をたくらむ者」
「悪事をたくらむ者ἐφευρετὰς κακῶν」。「企むἐφευρέτης」は「発明者、考案者、発見者」の意。常に新しい悪を発明し、考案し、発見する。詳訳聖書(いのちのことば社)は「新種の悪の考案者」とコメントする。その知恵に終わりはない。
関連ギリシャ語
(κακός「悪」G2556)
(ἐφευρέτης「企む」G2182)
(心のデボーション6358)
心のデボーション6359
「何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認めぬか。」 マタイ7:3 大正文語訳聖書
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」 口語訳聖書
「目の中の梁」
子どもの問題で悩んでいる親は、自分の人生にも未解決の問題を抱えていることが少なくない。子どもの「目の中のちり」に心を奪われて、自分の目に「梁」のあることに気づかない。親が未解決にしてきた自分の問題と向き合うことをしていると、子どもの問題が自然に解決することもある。自分の目から梁を除くと「はっきり見える」ようになって、子どもの痛みが見えるようになるのかもしれない。
関連ギリシャ語
(κατανοέω「認める」G2657)
(心のデボーション6359)
心のデボーション6360
「かれ前には汝に益なき者なりしが、今は汝にも我にも益ある者となれり。」 ピレモン1:11 大正文語訳聖書
「彼は以前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたしにも、有益な者になった。」 口語訳聖書
「有益な者」
「無益な者であったが、今は、有益な者になった」。(ピレモン1:11) 「無益な者ἄχρηστος」は「役にたたない者、無用の存在」、「有益な者εὐχρηστος」は「役に立つ、有用な存在」の意。「信仰の真理」は「無益な者」を「有用な者」に変える。
関連ギリシャ語
(ἄχρηστος「無益な者」G890)
(εὐχρηστος「有益な者」G2173)
(心のデボーション6360)

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