心のデボーション635

デボーション1
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心のデボーション6341

「なんぢを訴ふる者とともに途に在るうちに、早く和解せよ。恐らくは、訴ふる者なんぢを審判人にわたし、審判人は下役にわたし、遂になんぢは獄に入れられん」 マタイ5:25 大正文語訳聖書

「あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない」 新共同訳聖書

 「道の途中で」

もし「あなたと一緒に道を行く者」が「あなたを訴えようとしている」なら、「道の途中で、早く和解しなさい」。(マタイ5:25) 「和解するεὐνοέω」は「好意をもつ、友となる」で、ただの「仲直り」ではない。それも、彼が裁きの座に行く道の途中で果たさななければならない。

関連ギリシャ語
(εὐνοέω「和解する」G2132)
(φίλος「友」G5384)
(心のデボーション6341)

心のデボーション6342

「賢者は災禍を見てみづから避け 拙者はすすみて罰をうく」 箴言22:3  明治元訳聖書

「賢い者は災を見て自ら避け、思慮のない者は進んでいって、罰をうける。」 口語訳聖書

 「危険」

スズメが「ジッジッジッジッ」と息をつめるように鳴き続ける。危険が迫っているからかもしれない。何が起きたのだろうと庭に目をやると、見つかったからには隠れることもないと植え込みからノラ猫がのっそりと出てきた。危険を見つけたら、仲間に知らせるのが自然のマナーだ。ノラを見つけて自分だけさっさと飛び去ってはいけない。しかし、危険をかえりみず、ノラに突進するのも愚かである。

関連ギリシャ語
(οὐαί「災い」G375)
(ἀναγκή「危機」 G318)

(心のデボーション6342)

心のデボーション6343

「この故に我らは斯く多くの證人に雲のごとく圍まれたれば、凡ての重荷と纏へる罪とを除け、忍耐をもて我らの前に置かれたる馳場をはしり、」 へブル12:1  大正文語訳聖書

「こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競走を、耐え忍んで走りぬこうではないか。」 口語訳聖書

 「からみつく罪」

「いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて」。(へブル12:1) 「からみつくεὐπερίστατος」は「すぐに巻き付く、つきまとっている」の意。罪は「すぐに巻きつき、しつこくつきまとう」、やっかいな奴だ。「かなぐり捨てて」は「ἀποτίθημι」でこの語は「人を獄舎に入れる」の意味でも用いられる。罪は二度と出てこないように「牢に押し込み」しっかり鍵を下ろしたらよい。

関連ギリシャ語
(εὐπερίστατος「からみつく」G2139)
(ἀποτίθημι「かなぐり捨てる」G659)

(心のデボーション6343)

心のデボーション6344

「かくて幼兒を抱き、手をその上におきて祝し給へり。」 マルコ10:16  大正文語訳聖書

「そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。」 口語訳聖書

 「呑み込む母親」

今昔物語に、わが子を食おうとする鬼のような母の物語がある。このような母親は決して「鬼」の顔をしていない。むしろ、心優しく愛情のこまやかな女性なのだ。しかし、その愛情は、夫や子どもから才能や生き甲斐を呑み込み、むさぼりつくさずにはおかない。夫や子どもが、内的ないのちをありのままに生きるには、女性が自らの内的な闘いに勝利して、女性に内包されている「生み、育てる力」を取り戻すことにかかっている。

関連ギリシャ語
(μήτηρ「母」G3384)

(心のデボーション6344)

心のデボーション6345

「わが之を言ふは汝らを益せん爲にして、汝らに絆を置かんとするにあらず、寧ろ汝らを宣しきに適はせ、餘念なく只管、主に事へしめんとてなり。」 Ⅰコリント7:35  大正文語訳聖書

「わたしがう言うのは、あなたがたの利益になると思うからであって、あなたがたを束縛するためではない。そうではなく、正しい生活を送って、余念なく主に奉仕させたいからである。」 口語訳聖書

 「主への奉仕」

「しい生活を送って、余念なく主に奉仕〔しなさい〕」。(Ⅰコリント7:35) 「余念なくεὐπρόσεδρος」は「ἕδρα座る場所、座席、居場所」に由来することばで、「主のそばに据え置かれている」状態を意味する。「主に絶えず向き合い、離れずに仕える幸せ」を「主への奉仕」という。

関連ギリシャ語
(εὐπρόσεδρος「主によく仕える」G2145)

(心のデボーション6345)

心のデボーション6346

「善惡を辨へ知り、キリストの日に至るまで潔よくして躓くことなく、」 ピリピ1:10  大正文語訳聖書

「それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、」 口語訳聖書

 「純真で責められるところのないもの」

「純真で責められるところのないもの」が「本当に重要なことを見分けられる」(新共同訳聖書)。「純真εἰλικρινεῖς」は「混ぜ物がない」の意。外面的にも内面的にも、欺瞞や偽善のない誠実な生き方を指す。「混じりけのない神の御言葉」が「あなたがたの純真な心を奮い立たせる」。(Ⅱペテロ3:1) 「神には、かたより見ることがない」。(ロマ2:11)

関連ギリシャ語
(εἰλικρινεῖς (eilikrineis)「純真」G1505)

(心のデボーション6346)

心のデボーション6347

「然れば我が愛する兄弟よ、確くして搖くことなく、常に勵みて主の事を務めよ、汝等その勞の、主にありて空しからぬを知ればなり」 Ⅰコリント15:58  大正文語訳聖書

「だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。」 口語訳聖書

 「やじろべえ」

堅く立って、動かされない者でありたいと思う。しかし、何に対しても動揺せず、微動だにしない心というのも不気味なところがある。「やじろべえ」のようにフラフラと動きながら必死にバランスをとろうとするのが心であろう。そのやじろべえも、動かない支点があることでバランスが保てる。心は動くことによって定まる。「支点」は動かないこと、それが定まれば、動揺は健康のあかしであり、成長のしるしかもしれない。「堅く立つ」のギリシャ語ἑδραῖοςは「座る」を意味する「ἕζομα」から派生し、「どっしりと座す、不動の」の意である。

関連ギリシャ語
(ἑδραῖος「かたく立つ」G1476)

(心のデボーション6347)

心のデボーション6348

「そは義者は七次たふるるともまた起く されど惡者は禍災によりて亡ぶ」 箴言24:16  明治元訳聖書

「正しい者は七たび倒れても、また起きあがる、しかし、悪しき者は災によって滅びる。」 口語訳聖書

 「不倒翁」

「不倒翁」は「おきあがりこぼし」のことである。倒しても、すぐ立ちあがる玩具で知られる。「翁」の字があてられ、江戸時代には「起き上がり小法師」と呼ばれた。「決して倒れない」のではなく、倒れてもすぐに立ち直るのが「翁」である。「起き上がる」を意味するギリシャ語ἀνίστημιは「死からよみがえる、生き返る、復活する」の意味である。

関連ギリシャ語
(ἀνίστημι「起き上がる」G450)

(心のデボーション6348)

心のデボーション6349

「何ゆゑ兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認めぬか」 マタイ7:3 大正文語訳聖書

「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」 口語訳聖書

 「人の目の塵」

自分の目に「丸太」があると、どうして分かるのか? 人の目の「塵」が気になって、どうしてもそれを取り除かなければと悩むなら、自分の目には「丸太」が入っている。「丸太の目」は、何故か人の目の「塵」がよく見える。

関連ギリシャ語
(κάρφος「おが屑」G2595)
(δοκός「梁」G1385)
(βλέπω「見る」G991)

(心のデボーション6349)

心のデボーション6350

「(世は彼らを置くに堪へず)荒野と山と洞と地の穴とに徨へり。」 へブル11:38  大正文語訳聖書

「(この世は彼らの住む所ではなかった)、荒野と山の中と岩の穴と土の穴とを、さまよい続けた。」 口語訳聖書

 「この世」

「この世」は「彼らの住む所ではなかったἄξιος」。(へブル11:3) ἄξιοςは「価値あるものと認める」の意で、彼らは「この世」に「住む(存在する)〕にふさわしい価値を認めることができない人々であった。だからこそ、彼らは「この世」を「神を求める場」としたのである。

関連ギリシャ語
(ἄξιος「価値あるものと認める」G515)

(心のデボーション6350)

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