心のデボーション631

デボーション1
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心のデボーション6301

「かつ委ねられたる善きものを我等のうちに宿りたまふ聖靈に頼りて守るべし。」 Ⅱテモテ1:14  大正文語訳聖書

「そして、あなたにゆだねられている尊いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。」 口語訳聖書

  「内に住む聖霊によって」

「あなたにゆだねられている尊いもの」を、「わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい」。(Ⅱテモテ1:14) 「あなたにゆだねられている尊いもの」は「わたしたちの内に宿っている聖霊によって守られる」。「内に宿るἐνοικέω」は「中に住む、内在する」の意。神が私に「ゆらねられた尊いもの」は私の中に住まわれる聖霊が守られる。「私に委ねられた尊いもの」とは「福音のことば」、すなわち「神の御言葉」である。(Ⅱテモテ1:13)

関連ギリシャ語
(ἐνοικέω「内に宿る」G1774)

(心のデボーション6301)

心のデボーション6302

「されば主に在りて囚人たる我なんぢらに勸む。汝ら召されたる召に適ひて歩み、」 エペソ4:1  大正文語訳聖書

「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、」 エペソ4:1  口語訳聖書

 「牛に乗る」

「馬に乗るまで牛に乗れ」ということばがある。馬に乗れるまで待っているよりも、のろくても牛に乗って、少しでも進むほうがよいという。人生には、これまでの馬から牛に乗り換える時期もある。「牛を売って馬を買う」のではなく、「馬を売って牛を買う」のた。早くを捨てて、遅くをとり、すぐれたものを捨てて、愚かをとる。どちらかといえば私は牛が好きである。

関連ギリシャ語
召し
(κλῆσις「召し」G2821)
(καλέω「召し」G2464)

(心のデボーション6302)

心のデボーション6303

「求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」 マタイ7:7  大正文語訳聖書

「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう」 口語訳聖書

 「祈り求める」

神に「祈り求める」には、神が何を与えてくださろうとしているかを知る必要がある。それには、まず「自分の求め」を放棄することだ。そのようにして、神が与えてくださったものを見れば、「自分が求めたものよりもはるかに善きもの」であることが分かるだろう。神は私に何が必要かを知っておられる。(マタイ6:32)

関連ギリシャ語
(χρεία「なくてならぬもの、必要なもの」G5532)
(αἰτέω「求める」G154)

(心のデボーション6303)

心のデボーション6304

「愛は隣を害はず、この故に愛は律法の完全なり」 ロマ13:10  大正文語訳聖書

「愛は隣り人に害を加えることはない。だから、愛は律法を完成するものである。」 口語訳聖書

 「改造願望」

「この人を変えるのは私しかいない」という思い込みの強い女性は、無意識にだらしのない男性を探しているものだ。そういう男性にめぐり合うのは、そう難しいことではない。男性の方でも、だらしのない自分を必要としてくれる便利な女性を求めているからである。かくして男性はどこまでも自分をだらしなくしていき、女性はそういう男性にかかわろうとする自分の愛におぼれる。自分に出来ないことは引き受けないのも愛である。

「人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。」ヤコブ1:14  ここで「欲」は「ἐπιθυμία」で「欲望・欲求・切望・願望」の意である。

関連ギリシャ語

(ἀγάπη「愛、愛餐」G26)
(φιλέω「愛、友愛」G5364)

願望
(ἐπιθυμία「欲望・願望」G1939)

(心のデボーション6301)

心のデボーション6305

「おほよそ世にあるもの、即ち肉の慾、眼の慾、所有の誇などは、御父より出づるにあらず、世より出づるなり。」Ⅰヨハネ2:16  大正文語訳聖書

「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。」 口語訳聖書

 「目の欲」

「欲」と訳されるギリシャ語ἐπιθυμίαは、しばしば、否定的意味での「欲望」を意味し、新約聖書は「神から出たものではない」と明示する。エバはサタンから「それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となる」と誘惑され、見るとエバの目には「それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われた」のである。(創世記3:1-6)ここで「目の欲」とは「目が開け、神のように善悪を知る者となる」こと、すなわち「罪を好ましく見る目」であり、神からのものではない。

関連ギリシャ語
(ἐπιθυμία「欲」G1939)

(心のデボーション6305)

心のデボーション6306

「弟子たち彼方の岸に到りしに、パンを携ふることを忘れたり。」 マタイ16:5  大正文語訳聖書

「弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れていた。

 「パンの備え」

「四千人の給食」の直後、弟子たちは舟で向こう岸に渡った。そして「パンを持って来るのを忘れていた」ことに気づき、探すと「舟に一つのパン」しかなかった。そして、弟子たちの心に「イエスがまた、一つのパンで弟子たちを養ってくださるのではないか」という期待が浮かんだと想像することも出来よう。「五千人の給食」「四千人の給食」から群衆にはイエスを「王」としようという期待が生まれていたのである。弟子の心に群衆と同じような期待が生まれたとしても不思議ではない。それは十字架の死と復活を象徴する「パンの奇跡」を歪め、パリサイ人よってイエスを十字架にかける「口実」つながる「パリサイ人のパン種」であった。主の民は、神の超自然的な恩寵の直後にも、自ら「パンの備えをする」こと怠ってはならない。「忘れるἐπιλανθάνομαι」は「おろそかにする、軽視する、見落とす」の意である。

関連ギリシャ語
(ἐπιλανθάνομαι「忘れる」G1950)

(心のデボーション6306)

心のデボーション6307

「我は柔和にして心卑ければ、我が軛を負ひて我に學べ、さらば靈魂に休息を得ん。」 マタイ11:29  大正文語訳聖書

「わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」 口語訳聖書

 「まぶた」

「閉じない目」というのがる。その目で見つめられるのは嫌なものだろう。目には「まぶた」があって、開いたり、閉じたりを繰り返す。見つめることには休息が必要なのだ。「まぶた」には一種の脂線もあって、目にうすく脂肪を塗り、涙があふれ出すのをふせぐ。「まぶた」を閉じて、ちょっと視線をそらせば、悲しみを休ませることができるかもしれない。いつも凝視しているというのは、見る方も、見られる方も疲れる。

関連ギリシャ語
(ψυχή「魂、いのち」G5590)
(ἀνάπαυσις「休み」G372)

(心のデボーション6307)

心のデボーション6308

「或篇に人證して言ふ 『人は如何なる者なれば、 之を御心にとめ給ふか。 人の子は如何なる者なれば、 之を顧み給ふか。」 へブル2:6  大正文語訳聖書

「聖書はある箇所で、こうあかししている、「人間が何者だから、これを御心に留められるのだろうか。人の子が何者だから、これをかえりみられるのだろうか。」 口語訳聖書

 「人は何者なので」

人が「何者であろうと」、神は「御心に留められる」。この地に、神が御心に留められない人は、一人もいない。(へブル2:6) 「御心に留める」は「捜し出す、訪ねる、心にかける、注視する」の意。「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」。(ヤコブ4:5)

関連ギリシャ語
(ἐπισκέπτομαι」「捜し出す」G1980)
(μιμνήσκω「御心に留める」G3403)

(心のデボーション6308)

心のデボーション6309 

 「いつはりの權衝(はかり)はヱホバに惡(にく)まれ 義しき法馬(ぶんどう)は彼に欣(よろこ)ばる」 箴言11:1 明治元訳聖書

「偽りの天秤を主はいとい、十全なおもり石を喜ばれる」 新共同訳聖書

 「いつはりの權衝(はかり)」

「いつはりの權衝(はかり)」は重量の異なる二つの錘を使い分ける。人は自分を量るとき、実際よりも「重く」はかろうとすることがある。それは「異なる錘」を使うことで、罪である。また逆に実際よりも「軽く」はかるのは謙遜に思われるが、やはり「異なる錘」であって、偽りである。正しい「錘」は神にある。「公平の權衡(はかり)と天秤(てんびん)とはヱホバのものなり 嚢(ふくろ)にある法馬(ふんどう)もことごとく彼の造りしものなり」 箴言16:11 明治元訳聖書

自分をはかるときには、神の造られた「錘」を用いなければならない。「唯十分なる公正き權衡(はかり)を有べくまた十分なる公正(ただし)き升斗(ます)を有(もつ)べし然せば汝の神ヱホバの汝にたまふ地に汝の日永(なが)からん」。(申命記25:15 明治元訳聖書)

関連ギリシャ語
(μετρέω「量る・量り与える」G3354)
(δόλος「偽り」G1338)

(心のデボーション6309)

心のデボーション6310

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」 口語訳聖書

 「日ごとの糧」

朝毎に「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」と祈る。「日ごとのἐπιούσιος」は「次の日の為の、明日必要な、明日の、翌日の」の意味を持ち、「毎日の、日ごとの、どうしても必要な」をあらわす。食物に限らず、「どうしても必要なもの」を「今日も、明日も、明日の翌日も、日ごとに、いつまでも」と祈る。

関連ギリシャ語
(ἐπιούσιος「日ごとの」G1967)
(ἄρτος「糧、パン」G740)

(心のデボーション6310)

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