心のデボーション6261
「之によりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、皆なんぢらに報い來らん」 マタイ23:35 大正文語訳聖書
「こうして、正しい人アベルの血から、あなた方が聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカリヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなた方の上に降りかかる」 フランシスコ会訳聖書
「降りかかる血」
義のために流された血はいつまでも不法の者たちを訴え続ける。やがてその血は、打つ者の上に降りかかるのである。知らないと言ってはならない。降りかかる血が私を訴えているのだ。
関連ギリシャ語
(᾽Αβελ「アベル」G6)
(心のデボーション6261)
心のデボーション6262
「我らは皆その充ち滿ちたる中より受けて、恩惠に恩惠を加へらる。」 ヨハネ1:16 大正文語訳聖書
「わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。」 口語訳聖書
「イエスのプレローマ」
心に満ちるものがないと無駄な動きが多くなる。無駄に動き過ぎて、それで失敗する。そんな時、決まってイエスを見失っている。「満ち満ちた豊かさ」を失っている。そこでイエスを見出すために、心の奥底に降りていく。イエスのプレローマ「満ち満ちた豊かさ」が動き出すのを待つ。イエスのプレローマは時が満ちるのも教えてくれる。
関連ギリシャ語
(πλήρωμα「満ち満ちた豊かさ」G4138)
(心のデボーション6262)
心のデボーション6263
「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」 ヨハネ1:1 大正文語訳聖書
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」 新改訳聖書
「はじめ」
創世記1:1に「初めに、神が天と地を創造した」と、人間のはじめとしての天と地の創造を語り、ヨハネ1:1は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」と、イエス・キリストによる新しい人間の創造を語る。「はじめ」には、その「はじめ」が置かれる。
関連ギリシャ語
(ἀρχὴ「起源、初め」G746)
(λόγος「ことば」G3056)
(心のデボーション6263)
心のデボーション6264
「我彼らに我のヱホバなるを識るの心をあたへん彼等我民となり我彼らの神とならん彼等は一心をもて我に歸るべし」 エレミヤ24:7 明治元訳聖書訳
「わたしは彼らにわたしが主であることを知る心を与えよう。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは一心にわたしのもとに帰ってくる。」 口語訳聖書
「神を知る心」
神が与えて下さったものの中で、最もすばらしいのは、「神を知る心」である。たった一人で立ちつくすしかないような場面でも、主は私に「神を知る心」を与えられる。それで私は、どの時点からでも「心をつくして、神に立ち返る」ことができた。この心に出会わなかったら、私は「私を知ること」もなかった。「神を知る心」は、神から来る。
関連ギリシャ語
(ἐπιγινώσκω「神を知る知識」G1921)
(心のデボーション6264)
心のデボーション6265
「これ預言者イザヤによりて、斯く云はれし人なり、曰く 『荒野に呼はる者の聲す 「主の道を備へ、 その路すぢを直くせよ」』」 マタイ3:3 大正文語訳聖書
「預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。」 口語訳聖書
「荒野で」
バプテスマのヨハネは、「荒野」に現れ、「ユダヤの荒野で教を宣べ伝えた」。(マタイ3:1) 「主の道」はエルサレムの神殿にではなく、まず「荒野」に敷かれた。荒野の経験がなけば、主にお会いすることはできない。
関連ギリシャ語
(ἔρημος「荒野」G2048)
(ὁδός「道」G3598)
(心のデボーション6265)
心のデボーション6266
「ここにヘロデ、博士たちに賺(すか)されたりと悟りて、甚だしく憤ほり、人を遣し、博士たちに由りて詳細(つまびらか)にせし時を計り、ベツレヘム及び凡てその邊(ほとり)の地方なる、二歳以下の男の兒をことごとく殺せり。」 マタイ2:16 大正文語訳聖書
「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した。」 口語訳聖書
「だまされた」
ヘロデは「博士たちにだまされたと知って、非常に立腹し、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した」。(マタイ2:16) 「だますἐμπαίζω」というギリシャ語は「~の中で遊ぶ、~の中で跳ね回る、子どものように戯れる」の意で、「あざける、嘲弄する、ばかにする」ことである。東の博士たちは、決してヘロデ王を弄ぶようなことはしていない。それなのに、ヘロデ王が「子ものように弄ばれた」と思うのは、彼自身が人を「弄ぶ人」であったからであろう。その怒りは「幼児殺害」という途方もない悪を引き出す。
関連ギリシャ語
(ἐμπαίζω「だまされる」G1702)
(θυμόω「怒る、激怒する」G2373)
(心のデボーション6266)
心のデボーション6267
「それ隱れたるものの顯れぬはなく、秘めたるものの知られぬはなく、明かにならぬはなし」 ルカ8:17 大正文語訳聖書
「隠されているもので、あらわにならないものはなく、秘密にされているもので、ついには知られ、明るみに出されないものはない。」 口語訳聖書
「誤解」
完全に誤解される時、その筋書きの見事さに怒ることさえ忘れてしまいそうである。それは誤解だと、聞き流すこともできるが、自分の考える事実よりも、誤解のほうがより深い事実を伝えている場合もある。誤解にはむきになって弁解しないことだ。心に隠されていた自分が、そういう形で現れてきたのかもしれない。
関連ギリシャ語
(κρυπτός「隠されたこと」G2927)
(ἀπόκρυφος「秘密」G614)
(心のデボーション6267)
心のデボーション6268
「かれ會堂にて臆せずして語り始めしを、プリスキラとアクラと聞きゐて之を迎へ入れ、なほも詳細に神の道を解き明せり。」 使徒18:26 大正文語訳聖書
「彼は会堂で大胆に語り始めた。それをプリスキラとアクラとが聞いて、彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた。」 口語訳聖書
「明るみに出す」
プリスキラとアクラ夫妻は有能で若いアポロが霊に燃えて「会堂で大胆に語る」のを聞き、彼が「ヨハネのバプテスマしか知っていなかった」ことに気づき、「彼を招きいれ、さらに詳しく神の道を解き聞かせた」。(使徒18:26) 「解き明かすἐκτίθημι」は「外に置く、明るみに出す」の意である。「御言葉を解き明かす」は「その意味を明るみに出す」ことであり、「複雑に閉じ込める」ことではない。
関連ギリシャ語
(ἐκτίθημι「解き明かす」G1620)
(προσλαμβάνω「招く」G4355)
(心のデボーション6268)
心のデボーション6269
「なんぢら人を審くな、審かれざらん爲なり」 マタイ7:1 大正文語訳聖書
「人をさばくな。自分がさばかれないためである。」 口語訳聖書
「裁きを持ち込まない」
「裁くκρίνω」には「分ける、運ぶ」という意味がある。物事を区別し、一方を選び、他方を退ける。人は裁かずに生きることはできない。この言葉を考えるには、心に裁きを持ち込まないことからはじめる必要がある。まず、自分を裁かないことである。人生が成功か失敗か、意味があったかなかったかという区別を持ち込まないことである。私が私になれたら、自然に他人を裁くことをしなくなる。
関連ギリシャ語
(κρίνω「裁く」G2919)
(心のデボーション6269)
心のデボーション6270
「われ山にむかひて目をあぐ わが扶助はいづこよりきたるや。わがたすけは天地をつくりたまへるヱホバよりきたる。」 詩篇121:1-2 明治元訳聖書訳
「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。」 口語訳聖書
「手を動かすように」
イソップ寓話に、あるアテネ人が乗った船が遭難した。人々は海に飛び込んで懸命に泳いだ。しかし、信仰深いアテネ人は海の中でも女神アテネに助けを祈っていた。すると一人の人が彼に近づいて、「あなたもアテネの女神のお助けを受けて手を動かしなさい」と言った。(「イソップ寓話集」 山本光雄訳 岩波書店1942/2) 助かるための最善の方法をとるように願うのも祈りである。
関連ギリシャ語
(παράκλητος「助け主」G3875)
(προσεύχομαι「祈る」G4336)
(心のデボーション6270)

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