心のデボーション5971
「汝ビスガの嶺にのぼり目を擧て西北南東を望み汝の目をもて其地を觀よ汝はヨルダンを濟ることを得ざるべければなり」 申命3:27 明治元訳聖書
「おまえはピスガの頂に登り、目をあげて西、北、南、東を望み見よ。おまえはこのヨルダンを渡ることができないからである。」 口語訳聖書
「ピスガの頂」
モーセは120歳になったとき、ネボ山のピスガの頂に登り、約束の地の「西、北、南、東」を望み見て、死んだ。モーセに残されたのは「若いヨシュアを励まし、彼を強くし、イスラエルの民に先立って渡って行き、約束の地の全てを継がせる」ことであった。すべての人は登るべき「ピスガの頂」がある。そこから「西、北、南、東」を望み見よ。
(心のデボーション5971)
心のデボーション5972
「また他の譬を示して言ひたまふ『天國は一粒の芥種のごとし、人これを取りてその畑に播くときは」 マタイ13:31 大正文語訳聖書
「また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、」 口語訳聖書
「小さなことば」
どんなに相手が心を閉ざしていても、その胸に小さなことばを残しておきたい。いつか、それは芽を出し、花を咲かせてくれる。種(σπόρος)をまく人は、どの種が芽を出すかなどと考えない。地に種を落とし、そっと土をかぶせるだけ。あとは地が種を受け入れてくれる。すべては主のなさるがままである。
(心のデボーション5972)
心のデボーション5973
「ヱホバよ起たまへ 神よ手をあげたまへ 苦しむものを忘れたまふなかれ」 詩篇10:12 明治元訳聖書
「主よ、立ちあがってください。神よ、み手をあげてください。苦しむ者を忘れないでください。」 口語訳聖書
「み手をあげてください」
作者は苦しみの中にあって、助けを見出せず、あたかも神が「遠く離れて立たれている」かのように感じ、「「主よ、立ちあがってください。神よ、み手をあげてください」と祈る。作者は、出エジプト記の「わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう」。(出エジプト6:6)を思い起こして、苦しみからの救出と解放の「腕をのばしてください」と祈るのであろう。
(心のデボーション5973)
心のデボーション5974
「汝の目は正く視 汝の眼瞼は汝の前を眞直に視るべし」 箴言4:25 明治元訳聖書
「あなたの目は、まっすぐに正面を見、あなたのまぶたはあなたの前を、まっすぐに見よ。」 口語訳聖書
「不透明な自分」
自分が目立つにはどうしたらいいか、明日のために予行練習までしている。目立ちたいというよりも、自分の存在がどこか不透明で、つかみどころがないのかもしれない。そのため、人と違ったことをしてその反応で自分を確認したい。しかし、自分を確認するには、自分自身を正しく相手に向けることだ。やがて、相手のまなざしも「正しく」あなたに向けられるのが感じられるはずである。
(心のデボーション5974)
心のデボーション5975
「恥づべき隱れたる事をすて、惡巧に歩まず、神の言をみださず、眞理を顯して神の前に己を凡ての人の良心に薦むるなり。」 Ⅱコリント4:2 大正文語訳聖書
「恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。」 口語訳聖書
「混ぜ物をしない」
キリスト者は「勇気をもって「神の言を曲げず、真理を明らかに」すべきです。(Ⅱコリント4:2) 「神のことばを曲げずμηδὲ δολοῦντες」は「混ぜ物をしない、歪めることをせず」の意。御言葉には、いささかの「混ぜ物」も加えてはならない。神の御言葉は神の御言葉によって明らかにされるのである。
(心のデボーション5975)
心のデボーション5976
「われ詰朝おきいでて呼はれり われ聖言によりて望をいだけり」 詩篇119:147 明治元訳聖書
「わたしは朝早く起き出て呼ばわります。わたしはみ言葉によって望みをいだくのです。」 口語訳聖書
「夜回りが暁を待つにまさって」
古代イスラエルには夜に城門や神殿の城壁から外敵の侵入を見張る「夜回り」がいた。「夜回り* שֹׁמְרִים לַבֹּקֶר *」は「夜明けを待つ見張り人」の意で、夜の闇に目をこらしながら、ひたすらに朝を待ち望んだ。(詩篇130:6) そして、神の人は「朝早く起き出て、み言葉によって望みをいだき、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望む」のです。
(心のデボーション5976)
心のデボーション5977
「マノア、ヱホバの使者にいひけるは汝の名はなにぞ汝の言の效驗あらんときは我ら汝を崇ん」 士師13:17 明治元訳聖書
「マノアは主の使に言った、「あなたの名はなんといいますか。あなたの言われたことが事実となったとき、わたしたちはあなたをあがめましょう」。 口語訳聖書
「その名は不思議」
神はマノアに「わたしの名は不思議」と語られ、彼らの見ているところで不思議なことをされた。ヨブは神の摂理を「人の知り得ない不思議」と呼ぶ。(ヨブ記42:3) 神のなさる不思議が、ついにパロの心を変える。(出エジプト3:20) 「不思議」とは「難しいこと」の意味である。ですから、私は難しいことはすべて神におあずけしようと思う。何もしないことを学ぶときである。
(心のデボーション5977)
心のデボーション5978
「汝虚妄の風説を言ふらすべからず惡き人と手をあはせて人を誣る證人となるべからず」 出エジプト23:1 明治元訳聖書
「あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。」 口語訳聖書
「話の美しさを殺す」
ある人々は「話題になっている事柄」に「くだらぬ尾ひれをいっぱいつけるものだから、話そのものは面白くとも、そのために話の美しさを殺してしまう」。(モンテーニュ「エセー」原二郎訳 筑摩書房昭和43年より) こうして、噂話は、あっという間に広まって行く。陰謀論の大半はこれなのか?
(心のデボーション5978)
心のデボーション5979
「心の安穩なるは身のいのちなり 娼嫉は骨の腐なり」 箴言14:30 明治元訳聖書
「穏やかな心は身の命である、しかし興奮は骨を腐らせる。」 口語訳聖書
「穏やかな心」
「穏やかな心(מַרְפֵּא)マルペ」は「癒され、落ち着いた、健康な心」の意。「健康な心」とは「癒されて、落着きを取り戻した心」である。(箴言14:30) 「乱暴な言葉は魂を傷つける」、しかし「しなやかで穏やかな心」は「命の木である」。(箴言15:4)
(心のデボーション5979)
心のデボーション5980
「われ掌になんぢを彫刻めり なんぢの石垣はつねにわが前にあり」 イザヤ49:16 明治文語訳聖書
「見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。あなたの石がきは常にわが前にある。」 口語訳聖書
「神の掌」
「われ掌(たなごころ)になんぢを彫刻めり」。(イザヤ49:16明治文語訳聖書) 「掌(たなごころ)」は「手の中心」。「掌の玉」は「手の中の宝玉」で「最も愛するもの」。神はあなたを「掌(手の中心)」に「刻みつけられ」あなたは決して忘れられることがない。
(心のデボーション5980)
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