心のデボーション594

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心のデボーション5931

「女いふ『主よ、わが渇くことなく、又ここに汲みに來ぬために、その水を我にあたへよ』」 ヨハネ4:15  大正文語訳聖書

「女はイエスに言った、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」 口語訳聖書

 「サマリヤの女」

サマリヤの女はヤコブの井戸で、イエスの「わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」という言葉を聴いて、「主よ、わたしがかわくことがなく、また、ここにくみにこなくてもよいように、その水をわたしに下さい」と願った。「ここにくみにこなくてもよいようにδιέρχομαι」は「巡り歩かなくてもよいように」の意である。この言葉は、女が不道徳な生活から人々の目をさけて、人々が水を汲むことのない「正午頃」に井戸に水を汲みにこなければならないことからの救いを求める思いをあらわしている。

(心のデボーション5931)

心のデボーション5932

「人がその友に言談ごとくにヱホバ、モーセと面をあはせてものいひたまふモーセはその天幕に歸りしがその僕なる少者ヌンの子ヨシユアは幕屋を離れざりき」 出エジプト33:11

「人がその友と語るように、主はモーセと顔を合わせて語られた。こうしてモーセは宿営に帰ったが、その従者なる若者、ヌンの子ヨシュアは幕屋を離れなかった。」 口語訳聖書

 「顔と顔を合わせて」

顔と顔を合わせることをしなければ大切なことは伝わらない。しかし、同じ席に着いていてもひざを交えていないこともある。自分のことばで語ることが失われているのである。神に聞くと同じ敬虔さを人に向けるとき、私たちは神と「顔と顔を合わせて」いる。神は人の存在を通しても、多くを語られる。その対話の中から「ことば」がうまれる。

(心のデボーション5932)

心のデボーション5933

「誰か賢き女を見出すことを得ん その價は眞珠よりも貴とし」 箴言31:10  明治元訳聖書

「だれが賢い妻を見つけることができるか、彼女は宝石よりもすぐれて尊い。」 口語訳聖書

 「食わず女房」

昔話の「食わず女房」は、ケチで知られた男が「飯も食わないで良く働く女房」を欲しがっていると、「食べ物は食べない」という女が現れ、結婚する。だが、それいらい米や味噌がどんどん減るので、男が女房を見張ると、夜中に女房は頭にある大きな口を開け、一斗の米を炊いて、魚や味噌をどんどん呑み込んでいたというお話である。「ものを食わない女は何もかも吞み込む恐ろしい女」であった。。物を食べない女房を欲しがる男の前に「食わず女房」が現れる。男の正体に気づいて、「食わず女房」に変身する女性もいる。

(心のデボーション5933)

心のデボーション5934

「われ迫りくるしめり ヱホバよ我をあはれみたまへ わが目はうれひによりておとろふ 霊魂も身もまた衰へぬ」 詩篇31:9  明治元訳聖書

「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは悩み苦しんでいます。わたしの目は憂いによって衰え、わたしの魂も、からだもまた衰えました。」 口語訳聖書

 「苦しみ」

詩人で神経症を病んでいる女性がいる。神経症が重い時、彼女の感性は鋭くなり、魂の深みからいのちの叫びが詩となって湧き出てくる。しかし、神経症が軽くなると、彼女の詩は精彩を欠き、まったくつまらないものになってしまう。神経症をとることは彼女にとって幸せだろうか? 無理に神経症を治すことは自分が自分でなくなることになるかもしれない。それを決めるのは彼女自身であることはいうまでもない。

(心のデボーション5934)

心のデボーション5935

「又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。」 マタイ6:28  大正文語訳聖書

「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。」 口語訳聖書

 「砂漠の雨」

G・P・ナブハンの著書『雨の匂いのする砂漠』(白水社、1995年)に紹介されているロイド・テヴィスの1950年代後半の研究によれば、「テヴィスは、井戸から汲み上げた未処理の地下水を砂漠に人工的な雨として降らせて植物を育てようと試みた。偽の雨を50ミリ近く降らせたところでようやく一種類が発芽したが、30ミリ以下では何一つ芽をださなかった。平均して、80~100ミリの雨が必要だった。ところが、そこに20ミリの本物の雨が降ると、無数の植物の芽が発芽した」という。その後、テヴィスの自然の降雨が人工的な灌漑よりも効果的である可能性についての各種の報告が続いている。これは種の発芽には自然降雨が単なる水の量だけではなく、雨が広く土壌に浸透する効果や、それがもたらす温度や湿度の関係等、人口降雨では得られない条件を満たすことが考えられる。自然はいのちに必要な環境を巧みに提供している。

(心のデボーション5935)

心のデボーション5936

「永久に在す神は住所なり下には永遠の腕あり敵人を汝の前より驅はらひて言たまふ滅ぼせよと」 申命33:27  明治元訳聖書

「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある。敵をあなたの前から追い払って、『滅ぼせ』と言われた。」 口語訳聖書

 「振りごまだけで」

小山慶太氏によると「仕切りが縦に三つしかない小さな盤に「歩」だけを並べて勝負すれば、先手必敗になる。仕切りを四つにすると今度は先手必勝になる。こういう勝負では先手必勝か、後手必勝か、千日手の三つのどれかになる。先天を決める振りごまだけで、将棋をささなくても勝負はつく。」という。(小山慶太『ニュートンの秘密の箱』丸善昭和63より) たしかに、「仕切りが縦に三つ、また四つの簡易盤」では、勝負の結果は先手必勝・後手必勝・千日手3つしかない。では、普通の将棋盤(9×9)ではこの原則が当てはまるかといえば、解析は極めて困難になる。ChatGPTによる回答(OpenAI, 202)によれば、「1手ごとの合法手の数が多く、全体の局面数は10の220乗を超えるとされる(※チェスよりもはるかに複雑)。したがって、現代の計算能力でも完全解析は不可能」とのことである。簡易盤で物事を考えるか、普通の将棋盤(9×9)で考えるか?

(心のデボーション5936)

心のデボーション5937

「弟、父に言ふ「父よ、財産のうち我が受くべき分を我にあたへよ」父その身代を二人に分けあたふ。」 ルカ15:12  大正文語訳聖書

「ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。」 口語訳聖書

 「放蕩息子の家族」

放蕩息子の父親は心優しく、思慮深い人物であ。この家族にどんな問題があって放蕩息子がうまれたのだろうか?大人にとって理想と思える環境でも、子どもにはすべてを破壊しなければ自分が生きられないと思えることがある。何が悪かったのかと原因を探っても意味はない。多くは意図することなく作られたものだからである。子どもの問題行動は、これまでとは別のかかわり方をしてほしいという叫びなのだ。

(心のデボーション5937)

心のデボーション5938

「ペテロその見し幻影の何の意なるか、心に惑ふほどに、視よ、コルネリオより遣されたる人、シモンの家を尋ねて門の前に立ち、」 使徒10:17  大正文語訳聖書

「ペテロが、いま見た幻はなんの事だろうかと、ひとり思案にくれていると、ちょうどその時、コルネリオから送られた人たちが、シモンの家を尋ね当てて、その門口に立っていた。」 口語訳聖書

 「わかるまで尋ね続ける」

純粋な異邦人として最初に回心したローマの百人隊長コルネリオはペテロを自宅に招いて福音を聴くために、三人の僕を遣わした。三人の僕は御霊が遣わした人々で「シモンの家を尋ね当てて、その門口に立った」。「尋ね当てるδιερωτάω」は「わかるまで尋ね続ける」の意。彼らは御霊に導かれてペテロの居場所が「わかるまで尋ね続けた」。これもまた御霊に導かれる信仰である。

(心のデボーション5938)

心のデボーション5939

「汝らの中でだれが思い煩いて身の長一尺を加え得んや」マタイ6:27 大正文語訳聖書

「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。」 口語訳聖書

 「寿命」

「寿命」の「一キュビト」は、わずかの時間にすぎないが、「身長」の「一キュビト(約45センチ)」は大変な身丈である。人は小さくも、大きくも悩む。しかし、「思い悩んだ」からといって、わずかも「追加」することはできない。「わずかでも延ばし得ないもの」こそが尊い。

(心のデボーション5939)

心のデボーション5940

「なんぢは嬰兒ちのみごの口により力の基をおきて敵にそなへたまへり こは仇人とうらみを報るものを鎭靜めんがためなり」 詩篇8:2  明治元訳聖書

「主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、」 口語訳聖書

 「母の胎内で」

「主を畏れることは、知恵の初め。知恵は信仰のある者とともに母の胎内で造られた」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:1 フランシスコ会訳聖書) 「主への畏れ」は「母の胎内で」すでに造られている。「主、われらの主よ、あなたの名は地にあまねく、いかに尊いことでしょう。あなたの栄光は天の上にあり、みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました」。(詩篇8:1-2)

(心のデボーション5940)

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