心のデボーション5811
「我かれらに永遠の生命を與ふれば、彼らは永遠に亡ぶることなく、又かれらを我が手より奪ふ者あらじ」 ヨハネ10:28 大正文語訳聖書
「わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。」 口語訳聖書
「憶見」
「人を不安ならしめるのは、事柄自體ではなくて、それについての憶見である」。(ヒルティ「幸福論」秋山英雄訳 角川文庫865 昭和29年11月より) 事柄自体はさして怖いものではない。怖ろしいものという先入観が不安を生むのである。主の約束はあらゆる「臆見」から人を解き放ってくださる。
(心のデボーション5811)
心のデボーション5812
「汝らの言は常に惠を用ひ、鹽にて味つけよ。然らば如何にして各人に答ふべきかを知らん」 コロサイ4:6 大正文語訳聖書
「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」 口語訳聖書
「塩味のきいたことば」
魅力的なことばを話す人になりたいと思う。パウロはそれなら「いつも親切で、塩味のきいたことば」を使いなさいとすすめる。「親切χάρις」とは「やさしく思いやりのある」ことばのことで、「塩味のきいたことば」は「ほどよい味付けのきいた、深みのあることば」である。むずかしいと思う必要はない。心が相手にしっかり向いていれば、いつでも出てくる。
(心のデボーション5812)
心のデボーション5813
「石を打くだく者はそれがために傷を受け木を割る者はそれがために危難に遭ん」 伝道10:9 明治元訳聖書
「石を切り出す者はそれがために傷をうけ、木を割る者はそれがために危険にさらされる。」 口語訳聖書
「脱出する方法」
イソップの狐が井戸に落ちて脱出できなくなったところに、ヤギが水を飲みにきて、「井戸の水は美味しいか」と尋ねる。狐は「美味しいとも」と答え、ヤギも井戸の中に入るように勧める。ヤギが井戸にはいって水をたっぷり飲み終えると、どうしたら井戸から上がれるか思案した。すると狐は、まずヤギが井戸に足をかけてくれれば山羊の背中をのぼって井戸の外にでて、それから自分が山羊を引き上げてやるという。井戸の外に出た狐は山羊に「脱出する方法を考えたうえでなければ降りないものだ」と告げて助けもしないで、立ち去る。(「イソップ寓話集」 山本光雄訳 岩波書店1942/2) 理屈は正しくても、それを狐がいうのはおかしい。まず「脱出する方法もなしに井戸に入った」のは狐自身だったのだから。
(心のデボーション5813)
心のデボーション5814
「何事にまれ、徒黨また虚榮のためにすな、おのおの謙遜をもて互に人を己に勝れりとせよ。」 ピリピ2:3 大正文語訳聖書
「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。」 口語訳聖書
「尊敬」
どうしても尊敬すべきところが見いだせない相手に、どう接したらよいか。尊敬とは、相手を自分より「上」と見ることではない。相手をありのままに見ることである。長所も欠点もある、しかし、それらを含みながらひとつの人格として生きている、そのいのちの在り方をありのままに認めることである。どの人も、神に創られたユニークな存在で、そのユニークさにおいて、すべての人は「自分よりすぐれ」ているのである。
(心のデボーション5814)
心のデボーション5815
「明白に譴むるに秘に愛するに愈る」 箴言27:5 明治元訳聖書
「あからさまに戒めるのは、ひそかに愛するのにまさる。」 口語訳聖書
「ひそかに愛する」
「ひそかに愛する」。Today’s English Version(Good News Bible)「If you work in a stone quarry, you get hurt by stones. If you split wood, you get hurt doing it.相手に全く気にかけていないと思わせるよりは、公然と相手を正すほうが良い」。 「ひそかに愛する」は真実をつげずに愛する愛、すなわち偽りの愛である。
(心のデボーション5815)
心のデボーション5816
「ねがはくはなんぢの石垣のうちに平安あり なんぢの諸殿のうちに福祉あらんことを」 詩篇122:7 明治元訳聖書
「その城壁のうちに平安があり、もろもろの殿のうちに安全があるように」と。」 口語訳聖書
「城壁のうち」
「その城壁のうちに平安があり」。(詩篇122:7) 新共同訳聖書「あなたの城壁のうちに平和があるように」。
「私」という周辺に、どれほど高く堅固な城壁を築いても、そのうちに平安があるだろうか? 平安は城壁の高さにではなく、神への信頼からくる。城壁(τεῖχος)を築くことが不要なのではない。城壁に守られようとする心が不安に囲まれるのである。
(心のデボーション5816)
心のデボーション5817
「人の霊魂はヱホバの燈火にして人の心の奧を窺ふ」 箴言20:27
「人の魂は主のともしびであり、人の心の奥を探る。」 口語訳聖書
「たましいのともしび」
「人間の息は主のともしび」といわれる。「息」は「たましい」のことである。「たましい」は「主のともしび」で、心の奥をも探る。光が暗くてよく見えないときは、ぼんやりと見ることだ。「たましいのともしび」が見せないものは、見ようとしないことだ。ただ、どんなことがあっても、この「ともしび」だけは消さないと知れ。このともしびの消えるとき、「息」もとまりる。
(心のデボーション5817)
心のデボーション5818
「心の靈を新にし、」 エペソ4:23 大正文語訳聖書
「心の深みまで新たにされて、」 口語訳聖書
「新しき人」
「心の深み」。(エペソ4:23) 「心νοῦς」は「知能、思考、理性、理解力、判断力」等の意をあらわず。キリストに聞き、教えられる者は、「思考、理性、理解判断力の深み」まで新しくされ、「新しき人」を着る。(エペソ4:21-24)
(心のデボーション5818)
心のデボーション5819
「人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず」 マタイ6:24 大正文語訳聖書
「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」 口語訳聖書
「富・財宝」
「富μαμωνᾶς マモーナス」は福音書に4回出てくる。(マタイ6:24 ルカ16:9;11:13)。「マモーナス」はアラム語「マモン」のギリシャ語読みで「富・財宝」を意味する。「マモン」が問題ではなく、「マモンという神」に仕えることが問題である。人は「マモン」を神の玉座に据え、「マモン」は当然のような顔をして「神」の上席に座る。
(心のデボーション5819)
心のデボーション5820
「汝のみまへには暗ものをかくすことなく 夜もひるのごとくに輝けり なんぢにはくらきも光もことなることなし」 詩篇139:12 明治元訳聖書
「あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。」 口語訳聖書
「夜も昼のように輝く」
暗いからといって心を閉ざすな。神にとって「やみも光も異なることはなく」「やみも暗くはなく、夜も昼のように輝く」からである。「神の御思い」は海の砂よりも多く、はてしない。それゆえに、作者は「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、わたしを試みて、わがもろもろの思いを知ってください」と祈るのである。(詩篇139:24)
(心のデボーション5820)
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