心のデボーション580

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心のデボーション5791

「即ち大祭司アビアタルの時、ダビデ神の家に入りて、祭司のほかは食ふまじき供のパンを取りて食ひ、おのれと偕なる者にも與へたり」 マルコ2:26  大正文語訳聖書

「すなわち、大祭司アビアタルの時、神の家にはいって、祭司たちのほか食べてはならぬ供えのパンを、自分も食べ、また供の者たちにも与えたではないか」 口語訳聖書

 「大祭司アビアタル」

ノブの大祭司アビアタルは、逃亡中のダビデに、祭壇にささげられた祭司以外に食べることのできないパンを与え、ダビデと共にいた者たちは食べた。(マルコ2:26) アビアタルの行為は正しかった。「律法による義を行う人は、その義によって生きる」(ロマ10:3)のであり、「どんな戒めがあっても、結局「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」というこの言葉に帰する」。「愛は律法を完成するものである」。(ロマ13:8,10)

主イエスは律法主義を退けられ、「〔律法を〕廃するためではなく、成就するためにきたのである」。(マタイ5:17)

(心のデボーション5791)

心のデボーション5792

「その預言者または夢者をば殺すべし是は彼汝らをして汝らをエジプトの國より導き出し奴隸の家より贖ひ取たる汝らの神ヱホバに背かせんとし汝の神ヱホバの汝に歩めと命ぜし道より汝を誘ひ出さんとして語るに因てなり汝斯して汝の中より惡を除き去べし」 申命13:5  明治元訳聖書

「その預言者または夢みる者を殺さなければならない。あなたがたをエジプトの国から導き出し、奴隷の家からあがなわれたあなたがたの神、主にあなたがたをそむかせ、あなたの神、主が歩めと命じられた道を離れさせようとして語るゆえである。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去らなければならない。」 口語訳聖書

 「恐ろしい工場」

恐ろしい工場の話を聞いた。その工場は内部が二つに分かれていて、半分では地雷をつく。そして、別の半分では義手や義足をつくっているというのである。この会社は人間の手や足だけを飛ばす「強力でない地雷」と「義手と義足」をワンセットでなければ売らないのだそうである。地上のどこかにある「恐ろしい工場」は、人間の心から生まれ、効率よく運営されて利益をあげている。多分、わたしの心の中でも…。

(心のデボーション5792)

心のデボーション5793

「テベリオ・カイザル在位の十五年、ポンテオ・ピラトはユダヤの總督、ヘロデはガリラヤ分封の國守、その兄弟ピリポはイツリヤ及びテラコニテの地の分封の國守、ルサニヤはアビレネ分封の國守たり、アンナスとカヤパとは大祭司たりしとき、神の言、荒野にてザカリヤの子ヨハネに臨む。」 ルカ3:1-2  大正文語訳聖書

「皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネ(᾽Αβιληνή)の領主、アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。」 ルカ3:1-2 口語訳聖書

 「時代のただ中にあって」

「皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネ(᾽Αβιληνή)の領主、アンナスとカヤパとが大祭司であった」時代に、「神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ」。(ルカ3:1-2) 「神のことば」は「その時代」と「その時代の人々」に語られる。神の言葉は「今の時代に及ぶ」(マタイ23:36)のである。それはあなたがったが、「曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである」。(ピリピ2:15)

キリスト者とは「時代のただ中」に「神の言葉を聴く者」である。

(心のデボーション5793)

心のデボーション5794

「汝等もし聖書にある『おのれの如く汝の隣を愛すべし』との尊き律法を全うせば、その爲すところ善し。」 ヤコブ2:8  大正文語訳聖書

「しかし、もしあなたがたが、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」という聖書の言葉に従って、このきわめて尊い律法を守るならば、それは良いことである。」 口語訳聖書

 「動物好き」

動物行動学者のコンラート・ローレンツは動物のいやな面にどれくらい我慢できるかで、その人がどれほど動物を好いているかがわかると書いている。ということは、妻がどれくらい夫のいやな面に我慢できるかで、どれくらい夫を好いているかもわかるということか。もちろん、それはそのまま夫にもあてはまる。人間の場合、いやな面は、その人にかかわるだけでなく、その人の抱えている人間関係をも含む。念のため。

(心のデボーション5794)

心のデボーション5795

「なんぢの救のよろこびを我にかへし自由の霊をあたへて我をたもちたまへ」 詩篇51:12  明治元訳聖書

「あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。」 口語訳聖書

 「救いの喜び」

「自由の霊をもって、わたしをささえてください」。(詩篇51:12) 新共同訳聖書はLXXにしたがって、「導きの霊で私を支えてください」と訳す。「救いの喜び」は「導きの霊」によって常に「私に返される」。

(心のデボーション5795)

心のデボーション5796

「何の神か汝に如ん 汝は罪を赦しその產業の遺餘者の愆を見過したまふなり 神は憐憫を悦ぶが故にその震怒を永く保ちたまはず」 ミカ7:18  明治元訳聖書

「再びわれわれをあわれみ、われわれの不義を足で踏みつけられる。あなたはわれわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れ、」 口語訳聖書

 「海の深みに」

「咎を許される神」は「不義をゆるし」「とがを見過ごされ」「怒りをながく保たず」「われわれの不義を足で踏みつけられ」「われわれのもろもろの罪を海の深みに投げ入れる」。(ミカ7:18-19)

(心のデボーション5796)

心のデボーション5797

「われ臥していね また目さめたり ヱホバわれを支へたまへばなり」 詩篇3:5  明治元訳聖書

「わたしはふして眠り、また目をさます。主がわたしをささえられるからだ。」 口語訳聖書

 「夜の眠り」

神は「夜の眠り」を祝福される。良い睡眠は神を信頼する者への神からの賜物である。神は眠りの間もわたしを「支えて」くださる。LXXで「支える」はντιλαμβάνομαιで「助ける、引き受ける、あずかる」の意。神は夜の間もわたしを引き受けてくださる。

(心のデボーション5797)

心のデボーション5798

「われ新しき誡命を汝らに與ふ、なんぢら相愛すべし。わが汝らを愛せしごとく、汝らも相愛すべし。」 ヨハネ13:34  大正文語訳聖書

「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」 口語訳聖書

 「天国のつきあい」

天国でも地獄でも、人は1メートルもあるハシで食べなければならないそうである。地獄では、どうやっても食べ物を口に運ぶことができなくて、やせおとろえる。天国では、長いハシを使って互いに食べさせたので、心ゆくまで食事を楽しむことができるという。この方法には、食べたくないと断わる勇気と、断わられても傷つかないタフな心がないとうまくいかない。天国ではそれを愛と呼ぶ。

(心のデボーション5798)

心のデボーション5799

「人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず」 マタイ6:24 大正文語訳聖書

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」 口語訳聖書

 「二人の主人」

人にはいつも「二人の主人」がいる。たとえ、それが「神」と「マモン」であっても、同時に双方を「愛し、親しむ」ことができると考えている。しかし、「神」と「マモン」の双方を同時に「神」とすることはできない。「神」は唯一である。

(心のデボーション5799)

心のデボーション5800

「彼男子を生みければモーセその名をゲルシヨム(客)と名けて言ふ我異邦に客となりをればなりと」 出エジプト2:22  明治元訳聖書

「彼女が男の子を産んだので、モーセはその名をゲルショムと名づけた。「わたしは外国に寄留者となっている」と言ったからである。」 口語訳聖書

 「寄留者」

モーセはミディアンでの40年間を「寄留者」として荒野で羊を飼う以外に何もしていない。行動を起こすことが止められている間は、何もしないのが良い。それは祈りと思索の時である。

(心のデボーション5800)

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