心のデボーション579

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心のデボーション5781

「心の安穩なるは身のいのちなり 娼嫉は骨の腐なり」 箴言14:30 明治元訳聖書
「穏やかな心は身の命である、しかし興奮は骨を腐らせる。」 口語訳聖書

 「穏やかな心」

「穏やかな心(מַר‏ְפֵּא)マルペ」は「癒され、落ち着いた、健康な心」の意。「感情、思考、意思」の中心である「心」が健やかな状態であることをあらわす。この「穏やかさ」は神からの賜物であり、深い幸福感に満ちており、魂を癒すのみか、「身(肉、血縁、人類)のいのち」を健やかにする。

(心のデボーション5781)

心のデボーション5782

「今日ありて明日爐に投げ入れらるる野の草をも、神はかく裝ひ給へば、まして汝らをや、ああ信仰うすき者よ。」 マタイ6:30 大正文語訳聖書

「きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。」 口語訳聖書

 「とりかえしのつかないこと」

人は誰でも「とりかえしのつかないこと」の一つか二つ抱えて生きている。それがどんなに悲しいことでも、その時に戻ってやり直したいと考えないことだ。野の草は目の届かないところで花を咲かせる。神は私の知らないところで、その人にも「よきこと」をしてくださる。ですから、私は自分を責めない。ただ、「とりかえしのつかないこと」をしてしまった自分をそのまま抱えて生きていこうと思う。
(心のデボーション5782)

心のデボーション5783

「惡きものの謀略にあゆまず つみびとの途にたたず 嘲るものの座にすわらぬ者はさいはひなり」 詩篇1:1 明治元訳聖書

「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」 口語訳聖書

 「あざける者の座」

「あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」(詩篇1:1)「嘲る者」はヘブル語「לֵ֝צִ֗ים (lê·ṣîm)」で、この語は箴言21:24に「高ぶりおごる者を「あざける者」となづける、彼は高慢無礼な行いをするものである」と定義される。彼らの集まりは、しばしば「嘲りの場」となる。席につかぬがよい。「あざける者は、いつまで、あざけりを楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎む」。(箴言1:22)

(心のデボーション5783)

心のデボーション5784

「心さわがしきものに對ていへ なんぢら雄々しかれ懼るるなかれ なんぢらの神をみよ 刑罰きたり神の報きたらん 神きたりてなんぢらを救ひたまふべし」 イザヤ35:4 明治元訳聖書

「心おののく者に言え「強くあれ、恐れてはならない。見よ、あなたがたの神は報復をもって臨み、神の報いをもってこられる。神は来て、あなたがたを救われる」と。」 口語訳聖書

 「心騒ぐ時」

どうしょうもなく心が騒ぐ。手に力がこもらず、足はよろめく。それは、地がただの荒廃した荒地に変り、そこに「水がわき出し、川が流れる」のが見えなくなってしまったからだ。変容が見えなくなった心は、荒野を吹き抜ける風の音にも「騒ぐ」。目を閉じて、静かな心で神に祈れば、荒野に咲くサフランの花が見える。荒野を吹き抜ける風も「強くあれ、恐れるな」と聞こえる。

(心のデボーション5784)

心のデボーション5785

「すべての勤勞には利益あり されど口唇のことばは貧乏をきたらするのみなり」 箴言14:23 明治元訳聖書

「すべての勤労には利益がある、しかし口先だけの言葉は貧乏をきたらせるだけだ。」 口語訳聖書

 「勤労の実」

「すべての勤労には利益がある」。(箴言14:23) 「利益」をあらわすヘブル語「מוֹתָ֑ר (mō·w·ṯār)H4195」は「利点、利益」を意味するが、この語は単に金銭的な利益だけではなく、精神的、社会的な利益を含む。「すべての勤労」には有形、無形の報酬がある。「主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、あなたの手のすべてのわざを祝福されるであろう。あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはないであろう」。(申命28:12)

(心のデボーション5785)

心のデボーション5786

「哲者のこころは知識をたづね 愚なる者の口は愚をくらふ」 箴言15:14 明治元訳聖書

「さとき者の心は知識をたずね、愚かな者の口は愚かさを食物とする。」 口語訳聖書

 「さとき者の心」

「さとき者の心は知識をたずね」。「尋ねるיְבַקֶּשׁ־ (yə·ḇaq·qeš-)」は「探し出す、追い求める」の意。これに対して「愚かな者の口は愚かさを食物とする」で「食物とするכְ֝סִילִ֗ים (ḵə·sî·lîm)」は「〔羊が〕牧草を食べる」をあらわず。悟りのある者は「知恵」を求めて遠くに旅し、愚か者の口は「愚かさ」によって養われ、愚かさに太る。

(心のデボーション5786)

心のデボーション5787

「人を喜ばする者の如く、ただ目の前の事のみを勤めず、キリストの僕のごとく心より神の御旨をおこなひ、」 エペソ6:6 大正文語訳聖書

「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、」 口語訳聖書

 「目への奉仕」

「うわべだけの仕え方ὀφθαλμοδουλία」は直訳で「目への奉仕」となる。この時代にも、人の目のあるところでは、かいがいしく働き、目の届かないところでは、手を抜く人がいた。「目への奉仕」の他にも、「耳への奉仕」「口への奉仕」というのもある。「耳への奉仕」は自分の評価を聞く喜びが目的であり、「口への奉仕」は自分でそれを自慢したいがための奉仕である。いずれにしても、顔にまつわる奉仕は美しいものではない。

(心のデボーション5787)

心のデボーション5788

「彼を尊べ さらば彼なんぢを高く擧げん もし彼を懐かば彼汝を尊榮(たふと)からしめん」 箴言4:8 明治元訳聖書

「それを尊べ、そうすれば、それはあなたを高くあげる、もしそれをいだくならば、それはあなたを尊くする。」 口語訳聖書

 「知恵を抱きしめよ」

知恵を「抱きしめよ」。(箴言4:8) 「抱きしめる περιλάβὰνω」は「抱擁する、手に入れる、すっぽり包む」の意味で、「知恵を尊ぶ人」は、それを包囲し、抱きしめ、しっかりと手に包む。それは「あなたを高くあげる」。「高く上げる」は「低い身分の人に名誉を与えることによって高める」の意である。「知恵」は私を「低くし」、そして高める。

「主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くされる貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、王侯と共にすわらせ、栄誉の位を継がせられる。地の柱は主のものであって、その柱の上に、世界をすえられたからである」。Ⅰサムエル2:7-8
(心のデボーション5788)

心のデボーション5789

「されど、汝の目あしくば、全身くらからん。もし汝の内の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや」 マタイ6:23 大正文語訳聖書

「しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。」 口語訳聖書

 「内なる光」

人間には「内なる光τὸ φῶς τὸ ἐν」が宿っている。時に強く、時に鈍い。その光は生涯消えることはない。内なる光のつくる陰影が人生である。

(心のデボーション5789)

心のデボーション5790

「主よいたづらに見るのみにして幾何時をへたまふや 願くはわがたましひの彼等にほろぼさるるを脱れしめ わが生命をわかき獅よりまぬかれしめたまへ」 詩篇35:17 明治元訳聖書

「主よ、いつまであなたはながめておられますか、わたしを彼らの破壊から、わたしのいのちを若きししから救い出してください。」 口語訳聖書

 「唯一のいのち」

詩人は友が病を得た時には彼のために悲しみ、神に祈った。しかし、その友が「私の知らない事」で中傷し、彼の魂を深く傷つけた。(詩篇35:11-16) そこで詩人は「わたしを彼らの破壊から、わたしのいのちを若きししから救い出してください」と祈る。(詩篇35:17) 「わたしのいのち」はヘブル語「יְחִידָתִי」(yechidati)」で「私の大切な唯一の人」の意。この語には「一人ぼっちの,孤独な,さびしい」の意味もある。友の裏切りに深い悲しみの中にある「私の大切な唯一の孤独ないのち」を助けだしてくださいと祈る。

(心のデボーション5790)

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