心のデボーション5641
「民のなかなる無知よ なんぢらさとれ 愚かなる者よ いづれのときにか智からん」 詩篇94:8 明治元訳聖書
「民のうちの鈍き者よ、悟れ。愚かな者よ、いつ賢くなるだろうか。」 口語訳聖書
「愚者千慮」
「千慮一失」という。失敗などするはずのない人がささいなことから失敗する。十分に考え抜かれたことにも思わぬ手抜かりがある。「愚者千慮すれば、必ず一得有り」ともいう。どちらかといえば、「愚者」のほうが賢そうだ。
(心のデボーション5641)
心のデボーション5642
「ヱホバ神其人を挈て彼をエデンの園に置き之を埋め之を守らしめ給へり」 創世2:15 明治元訳聖書
「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。」 口語訳聖書
「なすべきこと」
何のために人は働くのだろうか。この問いに答はないのかもしれない。神は人を楽園に遊ぶものとしてではなく、地を耕し守るものとしてつくられた。聖書は「何のために」という問いに答えるよりも、働くものとしての人を見るのである。したがって、何をすべきかが分からないので、何もできないというのは間違いである。何をすべきかは、何かをなす人におのずから現れてくる。人生のどの時点にも、人はなすべきことをもつのである。
(心のデボーション5642)
心のデボーション5643
「惡き事の報速にきたらざるが故に世人心を専にして惡をおこなふ」 伝道8:11 明治元訳聖書
「悪しきわざに対する判決がすみやかに行われないために、人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾いている。」 口語訳聖書
「悪しき者」
「悪しきわざに対する判決」はすぐには行われない。そのため「人の子らの心はもっぱら悪を行うことに傾く」。(伝道8:11) 彼らは「百度悪をなして、なお長生きしている」と豪語する。だが、「悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない。彼は神の前に恐れをいだかないからである」。(伝道8:13)
この伝道者の見解に逆らえるだろうか?
(心のデボーション5643)
心のデボーション5644
「わが子よ汝の心を我にあたへ 汝の目にわが途を樂しめ」 箴言23:26 明治元訳聖書
「わが子よ、あなたの心をわたしに与え、あなたの目をわたしの道に注げ。」 口語訳聖書
「一所にかたよる」
剣道の達人でも、勝とうという気持ちが強すぎると相手の動きが見えなくなるという。勝ちたいという一所に思いがかたよって、見えるはずの動きが見えず、聞こえるはずの声が聞けなくなる。神を見、神に聞くには心を一所に置かないことだ。一所にかたよった心は「神の道」からはずれたところを見ていることがよくある。
(心のデボーション5644)
心のデボーション5645
「われに聖意をとめ 我にこたへたまへ われ歎息によりてやすからず悲みうめくなり」 詩篇55:2 明治元訳聖書
「わたしに耳を傾け、答えてください。わたしは悩みの中にあってうろたえています。わたしは不安です。」 新共同訳聖書 詩篇55:3
「不安」
「不安」な人の心は「悩みの中でうろたえる רוד(さまよう、放浪する、あてどもなく歩き回る)」。しかし、「わたしが神に呼ばわれば、主はわたしを救われます」「夕べに、あしたに、真昼にわたしが嘆きうめけば、主はわたしの声を聞かれる」。(詩篇55:16-17)
(心のデボーション5645)
心のデボーション5646
「愛する者よ、われ今この第二の書を汝らに書き贈り、第一なると之とをもて汝らに思ひ出させ、その潔よき心を勵まし」 Ⅱペテロ3:1 大正文語訳聖書
「愛する者たちよ。わたしは今この第二の手紙をあなたがたに書きおくり、これらの手紙によって記憶を呼び起し、あなたがたの純真な心を奮い立たせようとした。」 口語訳聖書
「それはとにかく」
「とにかく」は「兎に角」と書き、元々仏教用語の「兎角亀毛」からきている。「兎に角なく、亀の甲羅に毛なし」から「ありえないこと」の意味に使う。「それはさておき」「どっちにしろ」などに使われる。話しているうちに「兎に角」「亀に毛」に脱線しかけたときなどに、元に戻すに便利なことばである。心が次々と脱線していくようなとき、自分に「それはとにかく」とつぶやいてみてもよい。
(心のデボーション5646)
心のデボーション5647
「また約束し給ひし者は忠實(ちゅうじつ)なれば、我ら言ひあらはす所の望を動かさずして堅く守り」 へブル10:23 大正文語訳聖書
「また、約束をして下さったのは忠実なかたであるから、わたしたちの告白する望みを、動くことなくしっかりと持ち続け、」 口語訳聖書
「人生のメニュー」
轡田隆史さんにレストランのメニューを朗読する名女優のお話しがある。彼女がスープからはじまるメニューを「悲劇」として読むと、聞いている人は悲しさに心がしめつけられ、次に「喜劇」として読むと声を出して笑い転げたという。あなたはスープからデザートまでの人生のメニューを何として読むだろうか。喜劇とするもよし、悲劇とするも悪くはない。いずれにしても、それを希望として読んでほしい。
(心のデボーション5647)
心のデボーション5648
「斯く言ひて、息を吹きかけ言ひたまふ『聖靈をうけよ。』」 ヨハネ20:22 大正文語訳聖書
「そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。」 口語訳聖書
「いのちの息」
復活されたイエスは弟子たちに「息を吹きかけて」、「聖霊を受けよ」と仰せられた。(ヨハネ20:22) 「息を吹きかけἐμφυσάω」は創世2:7「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」の「命の息をその鼻に吹きいれられ(ἐμφυσάω)」と同じである。弟子たちは復活の主の息を吹き込まれて聖霊を受け、新しく「生きた者」とされた。
(心のデボーション5648)
心のデボーション5649
「なんぢら己がために財寶を天に積め、かしこは蟲と錆とが損はず、盜人うがちて盜まぬなり」 マタイ6:20 大正文語訳聖書
「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」 口語訳聖書
「天」
「天οὐρανός」は「しみも錆も損なわぬところ、盗人の穿たず、盗まざるところ」(永井訳)である。それは「地」においてこそ見出される。
(心のデボーション5649)
心のデボーション5650
「イエスは苦難をうけしのち、多くの慥なる證をもて、己の活きたることを使徒たちに示し、四十日の間、しばしば彼らに現れて、神の國のことを語り」 使徒1:3 大正文語訳聖書
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。」 口語訳聖書
「神の国」
復活のイエスは弟子たちにたびたび現れ、「神の国のこと」について語られた。(使徒1:3) 「イスラエルのはじめから神は王として告白されていた。神の王権はすべてのものに及ぶ。しかし、それは、造られたものが、神の御旨を行うことによって、神の王権を行動において確認する時、最もはっきりとあらわれるのである」。(ブルース「使徒行伝」聖書図書刊行会より) 詩篇103:19「主はその玉座を天に堅くすえられ、そのまつりごとはすべての物を統べ治める」。
(心のデボーション5650)
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