心のデボーション5591
「汝等も萬民の中よりイエズス、キリストに召されたる者なれば、」 ロマ1:6 大正文語訳聖書
「あなたがたもまた、彼らの中にあって、召されてイエス・キリストに属する者となったのである」 口語訳聖書
「喜びの器」
人は「召されてイエス・キリストに属する者となった」のである。(ロマ1:6) 「召されてκλητός」は「選ばれて」の意であるが、「招待されて、歓迎されテ」の意を含む語である。あなたは神に「歓迎をもって招待された」「喜びの器」である。
(心のデボーション5591)
心のデボーション5592
「朽ちる糧のためならで、永遠の生命にまで至る糧のために働け。これは人の子の汝らに與へんとするものなり、父なる神は印して彼を證し給ひたるに因る」 ヨハネ6:27 大正文語訳聖書
「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」 口語訳聖書
「ロバの幸せ」
ある動物園にエサの荷車を引く一頭のロバがいた。戦争がはじまり、ロバは軍隊に供出され、重い物資を運ぶことになった。それは過酷な毎日であった。戦争は終わり、ロバは動物園に戻された。動物園はロバをいたわり、もう荷車を引かせないことにした。しかし、ロバは元気がなくなり、やせていった。ある日、ロバは小屋の前で荷車を見つけ、自分からもぐりこんで引きはじめた。それがロバの幸せだったのである。
(心のデボーション5592)
心のデボーション5593
「われ汝らがキリスト・イエスに在りて神より賜はりし恩惠に就きて、常に神に感謝す。」 Ⅰコリント1:4 大正文語訳聖書
「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みを思って、いつも神に感謝している。」口語訳聖書
「神の恵み」
神が人に与えられる恵みは、「ἐπὶ τῇ χάριτι」(神がイエス・キリストに与えられた)恵みである。神はイエス・キリストに与えられた恵みを、そんまま、イエス・キリストを通して人に与えられる。
(心のデボーション5593)
心のデボーション5594
「我を失ふものは自己の生命を害ふ すべて我を惡むものは死を愛するなり」 箴言8:36 明治元訳聖書
「わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である」 口語訳聖書
「ペルソーナ」
「人」を意味する「パーソン」は、ラテン語の「ペルソーナ」からきている。ペルは「貫いて」、ソーナは「鳴る」の意味である。自分を貫いて鳴るものがあって「人」であり、それをもって互いに共鳴しあうのが「人」である。内に響くものがなくなったときに、人は主を見失い、人を見失う。自分であることを失ったからである。しかし、黙して待つうちに響きはよみがえってくる。愛が共鳴するのだ。
(心のデボーション5594)
心のデボーション5595
「されど我等にもせよ、天よりの御使にもせよ、我らの曾て宣傳へたる所に背きたる福音を汝らに宣傳ふる者あらば詛はるべし。」 ガラテヤ1:8 大正文語訳聖書
「しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。」 口語訳聖書
「天使であろうと」
「異なる福音」を持ち込む者は天使をも装う。偽りの霊的権威に警戒せよ。彼らは「光の子」をとらえるために「光」を身に纏う。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」。(ヨハネ10:27 新共同訳聖書)
(心のデボーション5595)
心のデボーション5596
「イエス言ひ給ふ『われ誠に汝に告ぐ、今日なんぢは我と偕にパラダイスに在るべし』」 ルカ23:43 大正文語訳聖書
「イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」」 口語訳聖書
「善良なる盗賊」
イエスと共に十字架にかけられた二人の盗賊の一人はイエスを嘲ったが、もう一人はそれをたしなめ、「あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」と告白し、イエスは彼に「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と言われた。(ルカ23:39-43) この男のことをフランス語で「善良なる盗賊le bon larron」と呼ぶ。十字架にかけられるほどの罪を犯した者にも「善良な心」が宿っていることをしめす言葉である。伝説的に、この強盗の名は「ディスマス」(Dismas)とされ、フランス語で「Saint Dismas」(聖ディスマス)と呼ばれる。
(心のデボーション5596)
心のデボーション5597
「朝蚤く起いでて山の嶺に登りて言ふ視よ我儕此にあり率ヱホバの約束したまひし地に上りゆかん我等罪を犯したればなり」 民数14:40 明治元訳聖書
「朝早く起きて山の頂きに登って言った、「わたしたちはここにいる。さあ、主が約束された所へ上って行こう。わたしたちは罪を犯したのだから」」 口語訳聖書
「逆らう」
イスラエルの民は神に「行け」といわれると「行きたくない」と答え、では「行くな」といわれると「私たちが間違っていた。あなたが命じられたとおりに上って行きます」と応じる。謙虚に反省し神に従う姿勢をとっているようだが、実は、「では、行くな」といわれたことに「それなら行けばいいんでしょう」と逆らっているのである。逆らう気持ちは頑固だ。恐れ入ったふりをしながら、したたかに逆らう。
(心のデボーション5597)
心のデボーション5598
「自ら欺くな、神は侮るべき者にあらず、人の播く所は、その刈る所とならん。」 ガラテヤ6:7 大正文語訳聖書
「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」 口語訳聖書
「収穫の夏」
「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」。(ガラテヤ6:7) 「刈り取るθερίζω」は「夏」を意味する「θέρος」からきている。人生は種まきである。神は蒔かれた種の一粒一粒に「収穫の夏」を定められる。
(心のデボーション5598)
心のデボーション5599
「是断食する者と人に見えずして、隠れたるに在す汝の父に見えん為なり、然らば隠れたるに見給ふ汝の父は汝に報い給ふべし」 マタイ6:18 大正文語訳聖書
「それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。」 口語訳聖書
「隠れた所」
真実は常に「隠れた所κρυπτός」にある。「真実」は現されたとたんに、その幾分かを失う。したがって、私たちはいつも隠れた所におもむく。
(心のデボーション5599)
心のデボーション5600
「一人よりして諸種の國人を造りいだし、之を地の全面に住ましめ、時期の限と住居の界とを定め給へり。」 使徒17:26 大正文語訳聖書
「また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。」 口語訳聖書
「時と場所の境界」
神は地に住む人々の「それぞれに時代を区分し、国土の境界を定め」られる。(使徒17:26) 神は「時」と「生」の境界(ὁροθεσία)を定められる。その目的は「神のうちに生き、動き、存在する」ためである。(使徒17:28) 我々が生きる「時代」と「場所」は神があらかじめ定められた。そこを生きるいのちの力は神から来る。
(心のデボーション5600)
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