心のデボーション5521
「視よわれ新しき事をなさん頓ておこるべし なんぢら知ざるべけんや われ荒野に道をまうけ沙漠に河をつくらん」 イザヤ43:19 明治元訳聖書
「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」 口語訳聖書
「アニ・マアミン」
アウシュビッツでユダヤ人たちに歌われた「アニ・マアミン」という歌がある。
「ヘブル語: אני מאמין באמונה שלמה בביאת המשיח, ואף על פי שיתמהמה, עם כל זה אחכה לו בכל יום שיבוא メシアの到来を信じる。たとえ遅れようとも、私は彼を待ち続ける」。(「アニ・マアミン」)
強制収容所へ送られる途中やガス室へ向かうときに、絶望の中でユダヤ人たちはこの歌を歌ったという。たとえ身体的自由を失い、希望がとざされても、神への信仰と希望を放棄しないというメッセージがこめられている。今でもホロコースト記念式典や追悼行事ではこの曲が演奏されるという。
(心のデボーション5521)
心のデボーション5522
「ヱホバかくいひたまふ汝ら途に立て見古き徑に就て何か善道なるを尋ねて其途に行めさらば汝らの靈魂安を得ん然ど彼らこたへて我儕はそれに行まじといふ」 エレミヤ6:16 明治元訳聖書
「主はこう言われる、「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。しかし彼らは答えて、『われわれはその道に歩まない』と言った。」 口語訳聖書
「幸いの道」
詩人は「私のたましいよ、おまえの全きいこいに戻れ」と語る。(詩篇116:7) たましいの全きいこいはどこにあるのだろうか。エレミヤは「それは昔からの通り道にある」という主のことばを聞く。(エレミヤ6:16) 「昔から幸いの道と呼ばれる街道がある。それを行けば全きいこいに至る」という。私には、「幸いの道」は、今、歩いている道からほんのひとまたぎで移れるほどの脇にある一筋の細い道のように思える。
(心のデボーション5522)
心のデボーション5523
「老たる者の中には智慧あり 壽長者の中には穎悟(さとり)あり」 ヨブ12:12 明治元訳聖書
「老いた者には知恵があり、/命の長い者には悟りがある。」 口語訳聖書
「老いの質」
「人の身は百年を以て期とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり。世上の人を見るに、下寿をたもつ人すくなく、 五十以下短命なる人多し。人生七十古来まれなり、といへるは、虚語にあらず。」(貝原益軒(1630-1714) 養生訓 巻第 1 ・ 総論 上)
現代ではこの養生訓も書き換えねばなるまい。しかし、老年期の質に「上・中・下」があるとすれば、何をもってそれを定めるか? 「上寿・中寿・下寿」のそれぞれに「上品・中品・下品」の三種がありそうだ。
(心のデボーション5523)
心のデボーション5524
「イスラエルの子孫これを見て此は何ぞやと互に言ふ其はその何たるを知ざればなりモーセかれらに言けるは是はヱホバが汝等の食にあたへたまふパンなり」 出エジプト16:15 明治元訳聖書
「イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。」 口語訳聖書
「マナ」
神がイスラエルに与えたマナは、それは不思議な食物だった。朝になると地面に霜のように降りてくる。コエンドロの種のようで、白く甘いせんべいのようなもので、各自が食べる分だけを日毎に与えられ、翌朝まで貯えておくことはできない。神は同じ方法で人に心の糧を与えられる。その都度、必要に応じて、その日の分だけ与えられ、ため置きはできない。
(心のデボーション5524)
心のデボーション5525
「我新しき心を汝等に賜ひ新しき靈魂を汝らの衷に賦け汝等の肉より石の心を除きて肉の心を汝らに與へ」 エゼキエル36:26 明治元訳聖書
「わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。」 口語訳聖書
「新しい心」
「肉の心」をリビングバイブル(いのちのことば社)は「愛に満ちた新しい心」と訳す。ヘブル語「 בָּשָׂר」は「肉、、血肉、人間」の意である。「肉の心」は「生きた人間の心」であり、神は「新しい心、新しい霊」を与え、「人間の心」から「石の〔罪の〕心」を取り除き、「愛に満ちた新しい人間の心」を与えられる。
(心のデボーション5525)
心のデボーション5526
「ヨセフとその諸の兄弟および當世の人みな死たり」 出エジプト1:6 明治元訳聖書
「そして、ヨセフは死に、兄弟たちも、その時代の人々もみな死んだ。」 口語訳聖書
「ますます増えて」
ヨセフの家族は飢餓を逃れてエジプトに移住しが、やがてそのヨセフもその子らもみな死ぬ。しかし、「イスラエルの子孫は多くの子を生み、ますますふえ、はなはだ強くなって、〔エジプトの〕国に満ちるようになった」。(出エジプト1:7) 偉大な指導者がいなくなった後、そのアイデンティティを失わずに、その子らが「ますます増える」ことに信仰の確かさが認められよう。「ますますבִּמְאֹ֣ד מְאֹ֑ד」(おびただしき、おびただしく)、はLXX「σφόδρα σφόδρα」(非常に、非常に)と、語を重ねることで豊かさが表現される。この豊かさは神の祝福による。
(心のデボーション5526)
心のデボーション5527
「エフライムは異邦人にいりまじるエフライムはかへさざる餹餅となれり」 ホセア7:8 明治元訳聖書
「エフライムはもろもろの民の中に入り混じる。エフライムは火にかけて、かえさない菓子である。」 口語訳聖書
「生焼けのパン菓子」
「生焼けのパン菓子」とは「冷たくもなく、熱くもない」の反対である。情熱と冷淡が背中合わせになっていて、これを食べると体の調子が悪くなる。熱心との違いは、その裏側に常に無関心があることだ。関心は狭く限られていて、近寄ると焼けこげるほどだが、それ以外のことは知ることも認めることもしない。「生焼けのパン菓子」にならないためには、時々「ひっくり返される」必要がある。
(心のデボーション5527)
心のデボーション5528
「汝神の作爲を考ふべし 神の曲たまひし者は誰かこれを直くすることを得ん」 伝道7:14 明治元訳聖書
「神のみわざを考えみよ。神の曲げられたものを、だれがまっすぐにすることができるか。」 口語訳聖書
「乗りかけた船」
「乗りかけた船には、ためらわずに乗ってしまえ」とツルゲーネフは言う。そうでなければ、きっと後で後悔する。だが、半分は「乗らなくてよかったと思う」ことである。乗るなら、そのことを考えたうえで乗ることだ。
(心のデボーション5528)
心のデボーション5529
「御言を教へらるる人は、教ふる人と凡ての善き物を共にせよ。」 ガラテヤ6:6 大正文語訳聖書
「御言を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。」 口語訳聖書
「分かち合う」
人の「飢え」はパンだけではない。その人のいのちに、真に裂き与えるものが「パン」である。それを持っていると自覚できる人は幸いである。彼は「分かち合うκοινωνέω」相手を見出したのだ。
(心のデボーション5529)
心のデボーション5530
「われ愚なるによりてわが傷あしき臭をはなちて腐れただれたり」 詩篇38:5 明治元訳聖書
「わたしの愚かによって、わたしの傷は悪臭を放ち、腐れただれました。」 口語訳聖書
「鉛より重い重荷」
「鉛より重い重荷は何か。その名は「愚か者」。ほかにはない」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵22:14 新共同訳聖書) 「愚か者」を担うのは鉛よりも重い。たとえ、自己であっても「愚かな自分」を担うのは辛い。だが、自己の「賢さ」を担うことに疲れた人もいる。「愚かに」なりたくてもなれない辛さである。
(心のデボーション5530)
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