心のデボーション552

デボーション1
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心のデボーション5511

「されど我なんぢに責むべき所あり、なんぢは初の愛を離れたり。」 黙示2:4  大正文語訳聖書

「しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。」 口語訳聖書

 「下学上達」

「論語―憲問」に「子曰、不天、不人、下学而上達、知我者其天乎」とあり、「下学上達」は「身近なことから学びはじめ、最終的には学問の奥儀に通じる」の意である。行き詰まったときには、「下学上達」に戻ればよい。

(心のデボーション5511)

心のデボーション5512

「神はこれを糺したまはざらんや 神はこころの隠れたることをも知たまふ」 詩篇44:21  明治元訳聖書

「神はこれを見あらわされないでしょうか。神は心の秘密をも知っておられるからです。」 口語訳聖書

 「開け放つ」

第二次大戦中に意外な方法でユダヤ人を自宅にかくまうことに成功した女性がいた。フランス人の牧師の妻でマグナ・トロクメである。ユダヤ人をナチスからかくまうには、それとわからなくする必要があった。逃れてくるユダヤ人が多くなってくるとマグナは玄関のドアを開け放っておくことにした。閉ざすよりも開け放つほうが秘密を守りやすかったのである。本当に隠したいなら鍵をかけるのをやめるのも一つの方法である。 

(心のデボーション5512)

心のデボーション5513

「すべてきざめる像につかへ虚しきものによりてみづから誇るものは恥辱をうくべし もろもろの神よみなヱホバをふしをがめ」 詩篇97:7  明治元訳聖書

「すべて刻んだ像を拝む者、むなしい偶像をもってみずから誇る者は/はずかしめをうける。もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。」 口語訳聖書

 「愛を離れた真理」

「愛を離れた真理は神ではない…、まして真理の反対である虚偽を、愛したり拝したりしてはならない」。(パスカル「パンセ」582前田陽一・由木康訳 中央公論社1973) 愛を離れた真理を拝すること、それは偶像礼拝である。

(心のデボーション5513)

心のデボーション5514

「我等またアナクの子ネピリムを彼處に見たり是ネピリムより出たる者なり我儕は自ら見るに蝗のごとくまた彼らにも然見なされたり」 民数13:33  明治元訳聖書

「わたしたちはまたそこで、ネピリムから出たアナクの子孫ネピリムを見ました。わたしたちには自分が、いなごのように思われ、また彼らにも、そう見えたに違いありません」 口語訳聖書

 「アナク」

十人の斥候はカナンの地を調べ、そこにアナクと呼ばれる巨人が住んでいるのを見た。あまりの巨人に斥候は「自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたに違いない」と報告する。人を大きく見すぎるので、自分がことさらに小さく見えてしまうのだろうか。ありのままを見る人は、自分を「いなご」とも「アナク」とも思わない。

(心のデボーション5514)

心のデボーション5515

「この日は言葉をかの日につたえ、この夜は知識をかの夜につげる。」 詩篇19:2  明治元訳聖書

「昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。」 口語訳聖書

 「無言の賛美」

犬養道子さんは、この箇所を「天体は神を語って、無言の賛美で大地を満たす」と訳す。(犬養道子「聖書の大地」新潮社1981/4) 神への賛美はときに無言である。無言であることにおいて最も美しく雄弁である。

(心のデボーション5515)

心のデボーション5516

「かくて汝らは大なる患難のうちにも、聖靈による喜悦をもて御言をうけ、我ら及び主に效ふ者となり、」 Ⅰテサロニケ1:6  大正文語訳聖書

「そしてあなたがたは、多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、」 口語訳聖書

 「聖霊による喜びをもって」

「多くの患難の中で」こそ、「聖霊による喜びをもって」、はじめて聞くことのできる「御言」がある。それによって私たちは「主とにならう者」となる。

(心のデボーション5516)

心のデボーション5517 

「ヤベヅ、イスラエルの神に龥はり我を祝福に祝福て我境を擴め御手をもて我を助け我をして災難に罹りてくるしむこと無らしめたまへと言り神その求むる所を允したまふ」 Ⅰ歴代4:10  明治元訳聖書

「ヤベヅはイスラエルの神に呼ばわって言った、「どうか、あなたが豊かにわたしを恵み、わたしの国境を広げ、あなたの手がわたしとともにあって、わたしを災から免れさせ、苦しみをうけさせられないように」。神は彼の求めるところをゆるされた。」 口語訳聖書

 「タブリンのロバ」

タブリン先生のロバは二つのかいばおけのどちらから食べようかと迷っているうちに飢えて死んでしまう。あれかこれかの迷いに心がとらわれて、結局、行動を起こせない。しかし、常に一片の迷いもないことが良いともいえない。迷ったら、迷いのままに生きてみると、いつの間にか迷いから抜け出ていることもある。迷うあまり、疑いが生じ、そこに座り込んでしまうのが問題なのである。

(心のデボーション5517)

心のデボーション5518

「時は滿てり、神の國は近づけり、汝ら悔改めて福音を信ぜよ」 マルコ1:15  明治元訳聖書

「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」 口語訳聖書

 「時が満ちた」

「時が満ちた」と告げる声がある。それを聞いたら、行動を起こさねばならない。「神の国が近づいた」からである。「悔い改めて福音(生ける神のことば)」を信ぜよ。

(心のデボーション5518)

心のデボーション5519

「なんぢら斷食するとき、僞善者のごとく、悲しき面容をすな。彼らは斷食することを人に顯さんとて、その顏色を害ふなり。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり」 マタイ6:16 大正文語訳聖書

「また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」 口語訳聖書

 「満腹が原因の病気」

ヒポクラテス(紀元前460~357)の格言に「満腹が原因の病気は空腹によって治る」とある。断食によって癒される病もある。

(心のデボーション5519)

心のデボーション5520

「命令の目的は清き心と善き良心と僞りなき信仰とより出づる愛にあり」 Ⅰテモテ1:5  大正文語訳聖書

「わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。」 口語訳聖書

 「演技」

信仰は「偽りのない信仰」でありたい。「偽りのないἀνυπόκριτος」は「α否定+ὑποκρίνομαι演技する、見せかける」からなり、「偽りがない、演じていない、偽善のない」の意であり、「真実」をあらわす。信仰は演技であってはならない。

(心のデボーション5520)

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