心のデボーション546

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心のデボーション5451

「答へて言ふ『定りたるものの外、なにをも促るな』」 ルカ3:13  大正文語訳聖書

「彼らに言った、「きまっているもの以上に取り立ててはいけない」 大正文語訳聖書

 「苛政」

「苛政は虎よりも猛なり」は、舅と夫とわが子を虎に食われて墓の前で泣いている女が、それでもその地を去らないのは何故かと孔子が問うと、女は「治世が天下一だから」と答えたという故事に由来する。「苛」は「ひりひりするような辛さ」の意。噛めば舌が火傷するほどの辛さの草のような税の取り立てをする「治世」は人食い虎よりも恐ろしい。

(心のデボーション5451)

心のデボーション5452

「聖徒の缺乏を賑し、旅人を懇ろに待せ」 ロマ12:13  大正文語訳聖書

「貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。」 口語訳聖書

 「もてなし」

遠くから来た見知らぬ旅人をもてなすのは、それほど難しくない。問題はその親切をどれくらい身近な人に向けられるかである。身近な人との間では、自分では親切と思うことでも、相手がそれを喜ばなければ、「大きなお世話」である。それが相手を思うところから出たものかどうかを振り返ってみる必要がある。「親切な行為」が相手の幸せよりも、自分を「親切な人」と意識したいだけのことである場合も少なくない。

(心のデボーション5452)

心のデボーション5453

「ヱホバ、サタンに言たまひけるは汝何處より來りしや サタン、ヱホバに應へて言けるは地を行めぐり此彼經あるきて來れり」 ヨブ1:7  明治元訳聖書

「主は言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」 口語訳聖書

 「人間の幸と不幸」

「人間であることは偉大であるが、同時にまた厳粛である。私たちは神に似たものとなることができるが、また悪魔にもなることができるのである」。「人間の最大の不幸は、人間が神に与えられた運命を達成せずに、神から離れ落ちてしまったことである。人間は目的を見失い、神から離脱することによって、罪を犯した」。(P・オルセン「牧会相談と精神療法」) 人間の尊厳は、この厳粛な事実から神を選ぶ者となることである。

(心のデボーション5453)

心のデボーション5454

「モーセ、ヱホバにいひけるはわが主よ我は素言辭に敏き人にあらず汝が僕に語りたまへるに及びても猶しかり我は口重く舌重き者なり」 出エジプト4:10  明治元訳聖書

「モーセは主に言った、「ああ主よ、わたしは以前にも、またあなたが、しもべに語られてから後も、言葉の人ではありません。わたしは口も重く、舌も重いのです」 口語訳聖書

 「寡黙な人」

雑談の流れにうまくのれなくて、何かいわなければとあせることがある。そこで、無理に口を開いたりすると、かえって場を白けさせてしまい、落ちこむ。そういう時は、黙って、ただ会話の流れを楽しめばいいのだ。雑談の名人は、意外と寡黙な人だという。その人がいると、みんなが自由に話し出す。モーセはそういう人だったのかもしれない。

(心のデボーション5454)

心のデボーション5455

「汝らの爲に天に蓄へある、朽ちず汚れず萎まざる嗣業を繼がしめ給へり。」 Ⅰペテロ1:4  大正文語訳聖書

「あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。」 口語訳聖書

 「天の相続財産」

「朽ちず汚れず、しぼむことのない資産」は「天にたくわえられ」ている。(Ⅰペテロ1:4) 「資産κληρονομία」とは「相続財産」の意である。人は、「天の、途方もなく豊かな財産」を相続するのである。それは「朽ちず汚れず、しぼむこと」がない。取り出すごとに豊かに増え、天に蓄えられる。

(心のデボーション5455)

心のデボーション5456

「キリストの神たる能力は、生命と敬虔とに係る凡てのものを我らに賜へり。是おのれの榮光と徳とをもて召し給へる者を我ら知るに因りてなり。」 Ⅱペテロ1:3  大正文語訳聖書

「いのちと信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖な力によって、わたしたちに与えられている。それは、ご自身の栄光と徳とによって、わたしたちを召されたかたを知る知識によるのである。」 口語訳聖書

 「いのちと信仰」

「いのちζωή(生命、生存、生命力、永遠のいのち)」は「信仰εὐσέβεια(敬虔な信仰)」に結びついている。信仰はあらゆる場面に、生き生きとしたいのちを生きる力である。「神である主は太陽、盾。/主は恵みと栄光を与え/全き道を歩む者に/良いものを惜しむことはありません。」詩篇84:12 聖書協会共同訳聖書

(心のデボーション5456)

心のデボーション5457

「汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん。」 Ⅰコリント10:13  大正文語訳聖書

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」 口語訳聖書

 「脱出の道」

神の試練には、必ず、脱出の道(ἔκβασις)が用意されている。脱出の道がどこにあるのか、誰もが知りたいところである。しかし、それは捜せば捜すほどわからなくなる道のようだ。捜すのをやめて、試練の中に座り込むと、現われてくる。脱出の道は試練から遠く離れてあるのではなく、試練そのものの中にあるからである。                      脱出の道は試練に突入していく道なのかもしれない。

(心のデボーション5457)

心のデボーション5458

「愛には懼なし、全き愛は懼を除く、懼には苦難あればなり。懼るる者は、愛いまだ全からず。」 Ⅰヨハネ4:18  大正文語訳聖書

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」 口語訳聖書

 「人恐怖症」

「人恐怖症anthropophobia」は「ἄνθρωπος人+φόβος恐怖」からなり、「人と接することを恐れる心の病」と定義される。対人恐怖症が人との直接的な接触や社会的状況に限定されるのに対して、人恐怖症は人そのものや人間全体が対象となる恐怖症(過剰または不合理な恐怖、恐怖、または嫌悪感)である。「存在への恐怖」を共に掘り下げてゆくことのできる関係が求められる。

(心のデボーション5458)

心のデボーション5459

「汝等もし人の過失を免さば、汝らの天の父も汝らを免し給はん」 マタイ6:14 大正文語訳聖書

「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。」 口語訳聖書

 「やさしさ」

やさしさとは相手の感情を踏みにじらないことだと思う。相手を許せないのは、まだ感情の表層にしか触れていないからである。感情の奥にあるものに出会えるなら、相手をそのままに許せる。

(心のデボーション5459)

心のデボーション5460

「我らの見しところ聞きし所を汝らに告ぐ、これ汝等をも我らの交際に與らしめん爲なり。我らは父および其の子イエス・キリストの交際に與るなり。」 Ⅰヨハネ1:3  大正文語訳聖書

「すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。」 口語訳聖書

 「一知全解」

ヨハネが伝えるのは、ヨハネ自身が「見たもの、聞いたもの」である。「一知半解」は「ものごとを少しだけ知って、十分に理解していない」の意である。ヨハネは自身に「一知全解」を求めてイエスを「見て、聞いた」のである。

(心のデボーション5460)

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