心のデボーション533

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心のデボーション5321

「なんぢら信仰に居るや否や、みづから試み自ら驗しみよ。」 Ⅱコリント13:5  大正文語訳聖書

「あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい」 口語訳聖書

 「自分を吟味する」

「野蛮人がわれわれにとって不思議であるように、われわれも彼らにとって不思議なのである」。(モンテーニュ「エセー」第一巻二十三章 原二郎訳 筑摩書房昭和43年) 彼らの目から自分を振り返ることは、決して無駄なことではない。 

(心のデボーション5321)

心のデボーション5322

「心の安穩なるは身のいのちなり 娼嫉は骨の腐なり」 箴言14:30 明治元訳聖書

「穏やかな心は身の命である、しかし興奮は骨を腐らせる。」 口語訳聖書

 「顔は五臟の華」

「顔は五臟の華」といいう。五臓は心臓、肝臓、すい臓、肺、腎臓のことである。内臓の調子が良ければ、顔の表情も穏やかだが、調子が悪ければ顔つきも険しくなろうというものだ。健康を考えるなら、内臓の心配よりも、まず、顔を華にすること。五臟の調子も良くなるかもしれない。私の時々見せる、険しい顔、それは生まれつきではあるとは、苦しい言い訳か。

(心のデボーション5322)

心のデボーション5323

「その十字架の血によりて平和をなし、或は地にあるもの、或は天にあるもの、萬の物をして己と和がしむるを善しとし給ひたればなり」 コロサイ1:20  大正文語訳聖書

「そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。」 口語訳聖書

 「イエス・キリストによって知る自己」

「われわれは、ただイエス・キリストによってのみ神を知るばかりでなく、またイエス・キリストによってのみわれわれ自身を知る」。(パスカル「パンセ」548 前田陽一・由木康訳 中央公論社1973) イエス・キリストによって自分を知る人は、イエス・キリストによってのみ神を知り、イエス・キリストによってのみ自己を知るのである。他の方法で神を知る人はイエス・キリストによって知る自己を知らない。

(心のデボーション5323)

心のデボーション5324

「されば汝ら愛せらるる子供のごとく、神に效ふ者となれ。」 エペソ5:1  大正文語訳聖書

「こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。」 口語訳聖書

 「愛されている子ども」

生後三日目の新生児の枕元に母親のブラジャーを置き、反対側に他の女性のブラジャーを置くと、新生児は確実に母親のブラジャーの方に顔を向けるという。子どもは愛を知っているのである。「愛されている子どもは」、母親にならって「愛のうちを歩む」。「愛されなかった子ども」は、どこに自分の顔を向けたらよいかわからないに違いない。 

(心のデボーション5324)

心のデボーション5325

「神に愛せらるる兄弟よ、また汝らの選ばれたることを知るに因りてなり。」 Ⅰテサロニケ1:4  大正文語訳聖書

「神に愛されている兄弟たちよ。わたしたちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っている。」 口語訳聖書

 「抜萃」

「神に選ばれている」と知る者は驚きを隠せまい。その理由が「神に愛された」ことによると知るにおよんで、驚きは驚愕に変わる。「ἐκλογή選ぶ」は「抜萃する」で、神はすべての人を「数ある中から抜萃される」のである。

(心のデボーション5325)

心のデボーション5326

「これ神の正しき審判の兆にして、汝らが神の國に相應しき者とならん爲なり。今その御國のために苦難を受く。」 Ⅱテサロニケ1:5  大正文語訳聖書

「これは、あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神のさばきが正しいことを、証拠だてるものである。その神の国のために、あなたがたも苦しんでいるのである。」 口語訳聖書

 「神の国にふさわしく」

「あなたがたを、神の国にふさわしい者にしようとする神」。(Ⅱテサロニケ1:5) 「ふさわしいκαταξιόω」は「その価値がある、その資格がある」の意。神は信じる者を主エスによって、「神の国にふさわしい価値のある者、その資格を持つ者」とされる。その証は誰の目にも明らかである。

(心のデボーション5326)

心のデボーション5327

「ヱホバ神エデンの東の方に園を設て其造りし人を其處に置たまへり」 創世記2:8 明治元訳聖書

「主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた」 口語訳聖書

 「ろうず」

花屋では売れ残ったくず花を「ろうず」と呼ぶ。ある生け花の家元は修業時代に花屋から「ろうず」をもらってきて生け花を工夫したそうである。売り物にならない「ろうず」にも、それでなければならない場所がある。「私」という「ろうず」はどこに置かれたら美しく咲くのか、それは神だけがご存知かもしれない。さて、そうなると、一緒に生けられるものも、「ろうず」ということだろうか。

(心のデボーション5327)

心のデボーション5328

「わが生命はかなしみによりて消えゆき わが年華はなげきによりて消ゆけばなり わが力はわが不義によりておとろへ わが骨はかれはてたり」 詩篇31:10  明治元訳聖書

「わたしのいのちは悲しみによって消えゆき、わたしの年は嘆きによって消えさり、わたしの力は苦しみによって尽き、わたしの骨は枯れはてました。」 口語訳聖書

 「悲しみ」

漢字の「悲」の会意は「非+心」で「非」は羽が左右に反対にひらいたかたちで、「心が二つに裂ける」こと。悲しみで心は飛ぶこともできず、地をばたばたと叩くしかない。

(心のデボーション5328)

心のデボーション5329

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」 口語訳聖書

 「お祈りは?」

家内の妹が病気で入院し、2歳になる娘を一ヶ月あずかった。子のない我が家では台風の直撃を受けたようで右往左往した。退院した妹に娘を返したが、「食事をするときに、娘が『お祈りは?』と聞かれる」との報告があった。クリスチャンではない妹の家で食事の祈りの習慣がなかったからである。2歳になる嵐のような子でも、「祈り」を覚えて帰宅できたのはよかった。

(心のデボーション5329)

心のデボーション5330

「我マケドニヤに往きしとき汝に勸めし如く、汝なほエペソに留まり、ある人々に命じて、異なる教を傳ふることなく、」 Ⅰテモテ1:3  大正文語訳聖書

「わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、」 口語訳聖書

 「過ちの教え」

信仰者は「信仰の言葉とあなたの従ってきた良い教の言葉とに養われる」。(Ⅰテモテ4:6) 「違った教えἑτεροδιδασκαλέω(誤った教え)」には「魂の養い」がない。

(心のデボーション5330)

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