心のデボーション4631
「彼はサタンの活動に從ひて來り、もろもろの虚僞なる力と徴と不思議と」 Ⅱテサロニケ2:9 大正文語訳聖書
「不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、」 口語訳聖書
「サタン」
「不法の者が来るのは、サタンの働きによる」。(Ⅱテサロニケ2:9) 「働きἐνέργεια」は「活動、働き」の意。ἐνέργειαは「エネルギーenergy」の語源である。Energyは「ἐν+ ἔργον仕事」からきて「内に蓄えられた仕事をする能力」の意である。
サタンは内に「仕事をする能力を蓄えた」存在であって、「あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、あらゆる不義の惑わしとを」、「滅ぶべき者どもに対して行う」エネルギーを内に蓄える存在である。
(心のデボーション4631)
心のデボーション4632
「汝らの心の眼を明かにし、神の召にかかはる望と、聖徒にある神の嗣業の榮光の富と、」 エペソ1:18 大正文語訳聖書
「あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、」 口語訳聖書
「小さき者」
パウロは自分を「一番小さな者」と呼ぶ。(エペソ3:8)「一番小さな者」とはパウロの作った言葉で「これ以上小さな者はない」に「それよりさらに小さい」という言葉を結びつけたものです。神は「小さき者」を召されます。聖書の「召し」とは「呼びかける」から来ています。
「小さき者」は、その弱さを通して私たちに呼びかけるために、神に呼び出されたのです。
(心のデボーション4632)
心のデボーション4633
「ヱホバ起てその聖住所よりいでたまへば凡そ血肉ある者ヱホバの前に粛然たれ」 ゼカリヤ2:13 明治元訳聖書
「すべて肉なる者よ、主の前に静まれ。主はその聖なるすみかから立ちあがられたからである。」 口語訳聖書
「時間的ゆとり」
Scholar「学者、教養のある人」の語源はギリシャ語σχολή(ラテン語schola)「暇、時間的ゆとり」で、そこから「世俗から離れた事柄に対する議論」の意が生じた。「時間的ゆとりを奪う」がbusyで、ここからbusiness「商売」である。時間的ゆとりは、自然にはうまれない。
(心のデボーション4633)
心のデボーション4634
「汝盗むなかれ」 出エジプト20:15 明治元訳聖書
「あなたは盗んではならない。」 口語訳聖書
「ネコババ」
道に落ちていたサイフを拾って自分のものにしてしまったりするのをネコババと言う。「ババ」は「糞」と書く。ネコは糞をすると脚で土砂をかけて隠すところから、臭いものを自ら始末して知らぬ顔をすることをいう。うっすらと土砂をかけただけなので、知らずにふんで、それと発覚することもある。そのときは、とびきり臭い匂いがする。いつまでも鼻にきつく残る匂いである。
(心のデボーション4634)
心のデボーション4635
「幸福なる哉、いま飢うる者よ、汝ら飽くことを得ん。幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。」 ルカ6:21 大正文語訳聖書
「あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。」 口語訳聖書
「心の貧しき者」
「あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ」。(ルカ6:21)「今飢えている人々は、幸いである」。(新共同訳聖書) 「心の貧しい者」とは「今飢えている人οἱ πεινῶντες νῦν」である。「心の貧しい者」とは自己を神ではないと知ったものであり、その「貧しさ」を知る者のみが神を知って、彼は笑う。
(心のデボーション4635)
心のデボーション4636
「この教會は彼の體にして、萬の物をもて萬の物に滿し給ふ者の滿つる所なり。」 エペソ1:23 大正文語訳聖書
「この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。」 口語訳聖書
「教会」
「カトリック教会」のCatholicusは「一般的な、普遍的な」を意味するギリシャ語καθολικόςに由来する。最初に教会をカトリックκαθολικόςとしたのは帝政ローマ時代のアンティオキアの司教イグナティウスIgnatius(35-107頃)であったと言われる。Catholicusは個々の地方教会を包括する普遍的教会を意味したが、東西に分離後西方教会をCatholicus、東方教会をOrthodoxus Ορθόδοξη 「正統」 と呼称した。宗教改革以後、CatholicusからProtestantプロテスタントが分離した。
(心のデボーション4636)
心のデボーション4637
「なんぢわが靈魂をして平和を遠くはなれしめたまへば我は福祉をわすれたり」 哀歌3:17 明治元訳聖書
「わが魂は平和を失い、わたしは幸福を忘れた。」 口語訳聖書
「しあわせ」
いつも最高でいようとすると「しあわせ」を見失う。「しあわせ」は不思議な生き物で、中途半端な生き方の中にも潜り込んでいたりする。したがって「しあわせ」は探してはいけない。その気配に気づけば、それでよい。「しあわせ」はとてもシャイで人なつこい生き物なのだ。「しあわせ」を忘れた大人にはなりたくない。
(心のデボーション4637)
心のデボーション4638
「もろもろの政治・權威・能力・支配、また啻に此の世のみならず、來らんとする世にも稱ふる凡ての名の上に置き、」 エペソ1:21 大正文語訳聖書
「彼を、すべての支配、権威、権力、権勢の上におき、また、この世ばかりでなくきたるべき世においても唱えられる、あらゆる名の上におかれたのである。」 口語訳聖書
「愚か者に屈するな」
「愚か者に屈するな(「愚か者の言いなりになるな」新改訳聖書)。権力者の顔色を窺うな」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵 フランシスコ会訳聖書) この「愚か者」は「権力者の顔色を窺い」自分の意志を隠す。
(心のデボーション4638)
心のデボーション4639
「これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」 マタイ5:45 大正文語訳聖書
「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」 口語訳聖書
「悪人にも善人にも」
太陽はよく植物を育てるが、強い日差しは植物を枯らす。雨は地を潤すが、溢れた水は良き地をだめにする。正しい者にも悪しき者にも同じ太陽が昇り、同じ雨が降る。悪しき者は自分の畑にだけ恵みの太陽が昇り、相手の畑が水に流されるように祈る。良き人は自分の畑におこると同じことが相手の畑にもおこることを認め、心配したり喜んだりしながら神に祈る。
(心のデボーション4639)
心のデボーション4640
「われ智慧は聰明をすみかとし 知識と謹愼にいたる」 箴言8:12 明治元訳聖書
「知恵であるわたしは悟りをすみかとし、知識と慎みとをもつ。」 口語訳聖書
「熟慮とともに住まう」
「知恵であるわたしは悟りをすみかとし」。(箴言8:12) 新共同訳聖書は「わたしは知恵。熟慮と共に住まい」と訳す。「知恵」は「熟慮」を棲みかとする。神の御言葉は、熟慮することなしには来ない。「住まうκατασκηνόω」は「野営する、陣を張る、天幕を張る」の意。
(心のデボーション4640)
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